金峯山寺・吉野へ~奈良旅⑪ 

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【吉野(よしの)】
国道309号線を走り、吉野町へと向かいます。
古代から、歴史の舞台に度々その名が登場してきた場所です。
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2004年には、
吉野や大峯を含む紀伊山地の霊場と参詣道が、
ユネスコの世界遺産に登録されています。
吉野と言えば、桜が世界規模で有名ですが、
この桜は、「ソメイヨシノ」ではなく、
「ヤマザクラ」の事を指します。
【吉野の地理】
紀伊半島の中部に位置し、奈良盆地の南に位置します。
高地・盆地・山岳地帯で、口吉野は吉野川流域、
奥吉野は十津川・北山川流域に分類できます。
吉野川は紀ノ川となって紀伊水道へと流れ下り、
十津川と北山川は熊野川となって熊野灘へ注いでいます。
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【吉野の歴史】
天川村と異なり、縄文から弥生時代の遺跡が発見されており、
古くから人々が居住してきました。
「古事記」「日本書紀」の神武東征の記事で
既に「吉野」という地名が記述されています。
「日本書紀」などの史書によると、歴代の天皇や貴族が吉野を訪れており、
この当時の吉野は、遊興の地であったようです。
現代でも山深く、行くのが大変なのに、古代は更に難儀だったと思いますが、
それほど魅力ある地域だったのでしょうね。
第15代「応神天皇」の吉野への行幸の記述が
日本書紀における「吉野の宮」の初見になります。
歴史の変わり目にも深くかかわり、
万葉の時代には、大海人皇子(後の天武天皇)が、
天智天皇が崩御ののちに、この地から挙兵しています(壬申の乱)。
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平安末期から鎌倉時代にかけては、
何と言っても、源義経と静御前でしょう。
平家の落人伝説も残されています。
そして、吉野と言えば、「後醍醐天皇」と「南北朝」ですね。
山深い吉野で激しい戦があり、吉野で南朝の朝廷が成立しています。
戦国時代になると、伊勢国の北畠氏が進出していきます。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、吉野での花見を催しています。
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江戸時代に入ると、徳川家康の顧問を務め、
数多くの謎を秘めていたあの南光坊天海の支配下となったそうです。
【吉野と修験道】
仏教が伝来する以前より、
自然崇拝や精霊崇拝を中心とする古神道が信仰の中心で、
縄文の古代から人々の生活の営みがあった吉野にも、その形跡がありました。
その後、仏教伝来となると、吉野では多くの寺院が建立されていきます。
また、役小角が金峰山(吉野山・大峰山)で蔵王権現を感得し、
従来の山岳信仰と仏教を習合した日本独自の修験道を開き、
発達していくことになります。
この時に役小角により創建されたのが金峯山寺と伝わっています。
大峯修験道は平安時代前期に再興されて以来、
中世にかけて大きく発展していきます。
大峯修験道を支えたのは、
東は関東から西は中国地方・四国から集まった全国の信者たちで、
それぞれ組織され、信仰を支え、寺院は発展し、
僧兵を抱えやがては軍事組織へと発展していきます。
(以上、参考:ウキペディアより)
【金峯山寺(きんぷせんじ)】
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〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山
午前8時30分~午後4時30分 年中無休
専用駐車場はなし。
金峯山寺(きんぷせんじ)は、
奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山です。
本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角と伝え、
南朝の中心地でありました。
南朝の御所跡もこの金峯山寺(きんぷせんじ)の敷地にあります。
<蔵王権現(ざおうごんげん)>
蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊です。
正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、
または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)と言うそうです。
インドに起源を持たない日本独自の仏で、
奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊です。
「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王で、
権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意をあらわします。
仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという
まさしくスーパーな存在でなのです。
【本堂・蔵王堂(ざおうどう)】
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金峯山寺の本堂です。
秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。
現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したと伝わります。
大正5年から13年にかけて、解体修理が行なわれ、
昭和55年から59年にかけて、
屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理されました。
蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよびます。
峯山寺および大峯山寺の本尊である蔵王権現は、
仏教の仏とも神道の神ともつかない独特の尊格でその姿は、
火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表し、
片足を高く上げて虚空を踏むものであります。
<日本最大秘仏本尊 特別ご開帳のお知らせ>
平成30年秋期 国宝仁王門大修理勧進
秘仏ご本尊特別御開帳の日程が決まりました。
平成30年11月3日(土)~11月30日(金)
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【仁王門(におうもん)】
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本堂(蔵王堂)の北側に位置する入母屋造本瓦葺きの二重門
(二重門とは2階建て門で、1階と2階の境目にも屋根の出をつくるものを指す)。
1456(康正2)年に再建されました。
本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北を正面互いに背を向けるように建ちます。
熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と
吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したため。
門の左右に安置する像高約5メートルの金剛力士(仁王)像は、
延元4年(1339年)、仏師康成の作で重要文化財に指定されています。
いよいよ、2018年の秋ごろに大修理に入り、完成は2028年の予定で、
既に、足場が組まれていました。
【国宝】
金峯山寺本堂蔵王堂、金峯山寺仁王門
【重要文化財】
金峯山寺銅鳥居、木造童子立像、木造蔵王権現立像、木造聖徳太子立像
銅燈籠、金銅装笈、梵鐘、金銅五鈷鈴、木造釈迦如来坐像
【県指定文化財】
木造仁王立像
【巡礼】
1、神仏霊場会巡排の道⇒奈良26番札所
2、役行者霊蹟札所会
3、大和 四神⇒南朱雀札所
4、紀伊山地三霊場会議
(参考:公式サイト及びウキペディアより)
<交通アクセス>
交通アクセス
<吉野山の駐車場>
桜の時期とそうでない時期とで異なるようです。
参考に桜の時期に案内されていたものをリンクします。
駐車場
そして、金峯山寺の下にある「脳天大神」へと足を運びました。
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