熊野速玉大社~元宮は巨岩のゴトビキ岩がある神倉神社、境内にはナギの巨木があり世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

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【熊野速玉大社】

熊野本宮大社、熊野那智大社とともに
熊野三山を構成する大社です。
神倉神社のゴトビキ岩に
降臨した熊野権現を勧進するため、
景行天皇の時代に社殿を造営したと
伝えられています。
主祭神は
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神です。
境内には天然記念物に指定される
樹齢800~1000年のナギの巨木があります。
かつては式内社(大)であり、
旧社格は官幣大社で、
現在は神社本庁の別表神社です。
熊野速玉大社 由緒

境内地は国の史跡「熊野三山」の一部です。
2002年12月19日、
熊野三山が史跡「熊野参詣道」から
分離・名称変更された際に、
御船島を含む熊野速玉大社境内が
追加指定されました。
2004年7月に登録された
ユネスコの世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」の
構成資産・大峯奥駈道の一部です。

【歴史】
神代の頃に、神倉山の磐座である
ゴトビキ岩に熊野速玉大神と
熊野夫須美大神が降り立ち、
そこで祀られることとなりました。

熊野速玉大神は、
熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、
熊野本宮大社では同じ神名で
日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)
とされています。
熊野夫須美大神は
伊邪那美神とされています。

社伝によりますと、
景行天皇58年に現在地に遷座し、
速玉之男神の名から
社名をとったということです。
もともと祀られていた所である
神倉山は神倉神社となり、
また元宮と呼ばれ、
当社は新宮と呼ばれています。
新宮市絵図

初めは二つの神殿に
熊野速玉大神、熊野夫須美大神、
家津美御子大神を祀っていましたが、
平安時代の初めには
現在のように十二の社殿が建てられ、
神仏習合も進んで
熊野十二所権現と呼ばれ、
やがて式内社(大)に列せられました。



また、穂積忍麻呂が
初めて禰宜に任じられてからは、
熊野三党のひとつである
穂積氏(藤白鈴木氏)が
代々神職を務めました。

平安時代の末期には
鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などが
幾度も熊野三山に足を運び、
大いに賑わっていました。

明治4年(1871年)、
熊野速玉神社として県社に
列格しますが、
明治16年(1883年)、
打ち上げ花火が原因で
社殿が全焼してしまいました。
大正4年(1915年)、
官幣大社に昇格しました。

昭和23年(1948年)に
神社本庁の別表神社に加列されています。
昭和42年(1967年)に
社殿が再建されました。

2004年7月1日、
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として
ユネスコの世界遺産に登録されました。

【境内】
<神門>
熊野速玉大社 神門

<速玉宮(第二殿)>
ご祭神:熊野速玉大神

<結宮(第一殿)>
ご祭神:熊野夫須美大神(熊野結大神)

<奥御前三神殿>
ご祭神:天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神

<上三殿(第三殿(証誠殿)・
第四殿(若宮・神倉宮))>
第三殿ご祭神:
家津美御子大神・国常立尊、
第四殿若宮ご祭神:
天照大神、第四殿神倉宮祭神:高倉下命

<八社殿>
ご祭神:中四社
(天忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦火火出見尊・鵜葺草葺不合命)、
下四社
(国狭槌尊・豊斟渟尊・泥土煮尊・大戸道尊・面足尊)

<鈴門>
5つ並んでいます。

拝殿
熊野速玉大社 拝殿

参集殿

双鶴殿

祭器庫

新宮神社

熊野恵比寿神社

東門

神門

社務所

大禮殿

熊野稲荷社

<熊野神宝館>
昭和32年(1957年)築。
神宝館拝観:500円
※現在は修繕のため休館です。

<武蔵坊弁慶の像>
熊野速玉大社 武蔵坊弁慶の像

<武蔵坊弁慶の伝承>
熊野速玉大社
武蔵坊弁慶の伝承

鑰宮 手力男神社
ご祭神:天之手力男命

八咫烏神社
ご祭神:建角見命

<ナギの木>
御神木。天然記念物。
平重盛の手植と伝えられています。
樹齢約800年以上。
熊野速玉大社 ナギの大木
境外
渡御前社
祭神:神武天皇。
神武天皇の頓宮跡に建てられているという。

<神倉神社>
元宮。



【国の天然記念物】
<梛の大樹>
指定名称は「熊野速玉神社のナギ」
(昭和15年(1940年)2月10日指定)
高さ20m(17.6m)、
幹周り6m(5m)、
推定樹齢1000年(850年)、
ナギとしては国内最大であるとされています。
ナギはマキ科の常緑高木であり、
よく神木として植樹されました。
本樹は雄株ですが、
幹に分岐が見られることから
もとは数株であったともされ、
平治元年(1159年)、
社殿の落成において
熊野三山造営奉行であった
平重盛の手植と伝えられています。
ナギは凪に通じることから、
ナギの実を束ねたものや
ナギの枝を護符にします。
ナギの木は、熊野杉や
天台烏薬とともに新宮市の
「市の木」に指定されています。
梛の大樹

<営業時間>
日の出~日没
(授与所は午前8時~午後5時)

<定休日>
無休

<駐車場>
あり(無料)

<料金>
境内自由 

【交通アクセス】
JR西日本・JR東海紀勢本線
「新宮」駅から車で約5分、徒歩約15分。

【所在地】
〒647-0003 和歌山県新宮市上本町1丁目1

滞在所要時間:15分~

【神倉神社】
神倉神社(かみくらじんじゃ、
かんのくらじんじゃ)は
和歌山県新宮市の神社です。
熊野三山の一山である
熊野速玉大社の摂社です。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、
および世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。
神倉神社(新宮市)
新宮城址からの撮影

新宮市中心市街地北西部にある
千穂ヶ峯の支ピーク、
神倉山(かみくらさん、かんのくらやま、
標高120m)に鎮座し、
境内外縁は直ちに断崖絶壁になっています。
山上へは、源頼朝が寄進したと
伝えられる、
急勾配の鎌倉積み石段538段を
登ります。
(下りは2006年に訪れたときは
下り専用の小道がありました)

山上にはゴトビキ岩
(「琴引岩」とも。ゴトビキとは
ヒキガエルをあらわす新宮の方言)
と呼ばれる巨岩がご神体として
祀られています。
この岩の根元を支える袈裟岩
といわれる岩の周辺には
経塚が発見されており、
平安時代の経筒が多数発掘され、
そのさらに下層からは
銅鐸片や滑石製模造品が
出土していることから、
神倉神社の起源は
磐座信仰から発したと
考えられています。
538段の自然石(花崗岩)を
組み合わせてでできた不揃いで急な石段です。
下るときはもちろん、上りも
かなり傾斜はきつくて足がすくみます。
(2006年に訪れたときは下り専用の小道あり)
全国的に勇壮な火祭りとして知られている
お灯祭りはこの急な石段を一番に
駆け下りる者を競います。

<超オススメ!!>
間近で見るゴトビキ岩は正に圧巻です。
地球のエネルギーを感じます。
不揃いで急な階段も、
昔の人の健脚ぶりが実感できます。
今回は時間がなくて近くには行けませんでしたが、
お時間が許す限り是非訪れたい場所です。
自然のエネルギーと素晴らしさ、
古の人々の思いや信仰が
今も十分感じ取れる場所です。
ここは超お勧めです!!!
注意すべきは石段はありますが
これは「登山」です。
歩きやすく滑りにくい靴をお勧めします。
できれば軍手持参で。
(滑り止めがあると尚いいです)



【歴史】
神倉神社の創建年代は128年頃と
いわれていますが、
神話時代にさかのぼる
古くからの伝承があります。
熊野信仰が盛んになると、
熊野権現が諸国遍歴の末に、
熊野で最初に降臨した場所であると
説かれるようになりました。
(「熊野権現垂迹縁起」)
この説によりますと、熊野三所大神が
どこよりも最初に降臨したのは
この地であり、そのことから
熊野根本神蔵権現あるいは
熊野速玉大社奥院と称されました。
平安時代以降には、
神倉山を拠点として
修行する修験者が集うようになり、
熊野参詣記にもいく度か
その名が登場するようになりました。

「平家物語」巻10の
平維盛熊野参詣の記事に
登場するほか、
応永34年(1427年)には、
足利義満の側室北野殿の
参詣記に「神の蔵」参詣の
記述が見られるとのことです。

鎌倉時代の建長3年(1251年)2月14日には
火災により焼失しましたが、
時の執権の北条時頼より
助成を与えられて再建されました。
近世以降は、紀州徳川家や、
新宮領主の浅野氏・水野氏の崇敬をあつめました。

【交通アクセス】
JR紀勢本線「新宮」駅下車
熊野交通の路線バスで「裁判所前」下車、
または徒歩15分。

<営業時間>
境内自由

<定休日>
無休

<駐車場>
あり(無料)
第一駐車場:普通車6台程度
第二駐車場:普通車15台程度。
※道幅は大変狭く、車のすれ違いが
厳しい道もあります。
熊野速玉大社から歩く選択もあります。
(10分~20分くらい、石段下まで)

<料金>
境内自由

【所在地】
〒647-0044 和歌山県新宮市神倉1丁目13−8

滞在所要時間:30分~
(上がって参拝する場合)

花山天皇~藤原氏の策略で19歳で出家、独創的な発想の持ち主で好色、観音巡礼が後に「西国三十三所巡礼」として継承。

熊野那智大社~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部、熊野三山です。

青岸渡寺~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部で西国三十三所第1番札所です。

那智の大滝・飛瀧神社~滝をご神体とする自然信仰の聖地、日本三名瀑で世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

南紀勝浦温泉~熊野三山、吉野熊野国立公園の拠点で太平洋に面した自然の洞窟の浴場があります。

鬼ヶ城~国の名勝で天然記念物、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部の海岸景勝地です。

花の窟神社~伊弉冉尊の葬地と伝わる磐座信仰のある巨岩、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

丸山千枚田~白倉山の南西斜面を利用した棚田群、棚田オーナー制があります。

鉱山トロッコ電車(坑内電車)で行く湯ノ口温泉~入鹿温泉ホテル瀞流荘⇔湯ノ口温泉をレトロなトロッコ旅。

後白河院(後白河院天皇)(後白河法皇)「治天の君」の地位を保持した「日本一の大天狗」の異名をとる人物。

後鳥羽院(後鳥羽上皇)、承久の乱を起こし文武両道多芸多能で怨霊伝説もあるスゴイ人物。

平清盛~平家の黄金期を築いた棟梁~先見性と革新的思考で時代を切り開き後世に託す。

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鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。

鬼ヶ城本城~有馬忠親の隠居城でしたが攻城され熊野水軍を率いた堀内氏善が治めました。

紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。

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