鬼ヶ城~国の名勝で天然記念物、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部の海岸景勝地です。

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【鬼ケ城】

鬼ヶ城(おにがじょう)は
三重県熊野市木本町にある
海岸景勝地です。
国の名勝(「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」
〈くまののおにがじょう つけたり ししいわ〉)
の一部です。
鬼ヶ城 鬼のオブジェ
熊野灘の荒波に削られた
大小無数の海食洞が、
地震による隆起によって階段上に並び、
熊野灘に面して約1.2km続いています。
志摩半島から続く
リアス式海岸の最南端で、
これより南はなだらかな砂浜の
海岸(七里御浜)へと変わります。
吉野熊野国立公園
世界遺産 鬼ヶ城 
東口から山頂へ通じるハイキングコースには
桜が植えられており、
春には4種類の桜が
次から次へと開花して
長期間花見が楽しめます。
鬼ヶ城周遊図
昭和10年(1935年)に
国の天然記念物に指定された後、
昭和33年(1958年)に
獅子巌が追加指定され、
名勝および天然記念物
「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」となりました。
鬼ヶ城

ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
(20047月登録)の一部です。
また、日本百景に選定されています。



【坂上田村麻呂伝説】
坂上田村麻呂が桓武天皇の命を受けて、
鬼と恐れられこの地を
荒らし廻っていた
海賊・多娥丸(たがまる)を
征伐したという伝説です。
鬼ヶ城 海 
桓武天皇(737年~806年)の頃、
この地に隠れて熊野の海を荒らし廻り、
鬼と恐れられた
海賊多娥丸(たがまる)を、
天皇の命を受けた
坂上田村麻呂(751年~811年)が
征伐したという伝説が残っています。
その伝説に基づいて鬼の岩屋と
呼ばれていましたが、
後に鬼ケ城といわれるように
なったとのことです。
鬼ヶ城 千畳敷からの魔見ヶ島
この物語を更に調べますと、
大筋では一緒ですが、
書かれている書物によって
若干異なるとのことです。
鬼ケ城が断崖絶壁であり、
海からでしか近づけない事が説明され、
ここの住む鬼神が民を悩ませ、
鬼ヶ城 千畳敷
平城(へいぜい)天皇の頃、
大同年間(806年~810年)、
鈴鹿山の鬼神を退治した
坂上田村麻呂将軍が、
紀伊国の鬼の話を聞いて、
討伐しようと二木島を計有して
船で岩屋へ近づきました。
鬼の大将「金平鹿(こんへいか)」
は、手下を集め、敵は観音の加護があるので
我々の神通力が効かないかもしれぬと
食料を運び込んだ岩屋に閉じこもり、
石の戸を閉めてじっとしていました。
坂上田村麻呂将軍が攻めあぐねている時、
沖の島の上に一人の童子がこつ然とあらわれ、
弓矢を携えて将軍を手招きします。
その姿はまるで菩薩のようでした。
鬼ヶ城 海 魔見ヶ島

かしこまる坂上田村麻呂将軍に
童子は「私が舞を舞うから、
軍勢も一緒に舞おう」と語り、
船を並べた舞台の上で舞い遊びます。
その妙なる調べに、
鬼の大将は何事かと
石の戸を少し開けて顔を出しました。
田村麻呂将軍はここぞとばかり、
童子から授かった弓を引き、
矢を放つと、矢は金平鹿の左眼に
命中しました。
岩屋の中から800人もの
手下の鬼たちが飛び出してきましたが、
田村麻呂将軍からの千の矢先に
ことごとく倒れていきました。
千手観音の化身であった童子は、
光を放って飛び去っていきました。
童子があらわれた島を
「魔見るか」島(魔見ヶ島(まみるがしま)
と呼ばれたとのことです。
魔見ヶ島(鬼ヶ城)

<魔見ヶ島の説明>
魔見ヶ島の説明

熊野市のホームページの
観光案内には、安時代桓武天皇の頃、
将軍坂上田村麻呂はこの地に隠れ、
海を荒らしまわって鬼と
恐れられた海賊・多娥丸の征伐を
命じられました。
近くの烏帽子山に大馬権現の
化身の天女が現れ、
鬼の隠れ家(現在の鬼ヶ城)を教えましたが
岩が厳しくそびえ、
磯は波が激しく
とても立ち寄ることはできませんした。
鬼ヶ城 千畳敷

その時、沖の魔見ケ島に童子が現れ、
舞い唄い、軍勢も加わって
大騒ぎとなりました。
鬼神が油断をして
岩戸を開く一瞬に、
将軍が神通の矢を放ち、
見事一矢でしとめました。
童子は光を放って
北の峰に飛び去ったので
後を追って行くと、
紫雲たなびき、
芳香に満ちた洞窟(清滝の上流)があり、
守仏の千手観音を納め安置しました。
鬼ヶ城 遊歩道
この鬼ケ城にまつわる話は、
泊観音や大馬神社へと繋がり、
この地域に数々残る「鬼」に
まつわる話の一つとなっています。
鬼ケ城と隣接する熊野古道「松本峠」を越えると
約25km続く七里御浜のなだらかな道に変わります。



昭和10年(1935年)、
国の天然記念物に指定されました。
日本百景に選定されました。
鬼ヶ城 
2004年7月に、
ユネスコの世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」
の一部として登録されました。

<動画>

【交通アクセス】
(電車)
●名古屋駅から特急「ワイドビュー南紀号」で
「熊野市」駅まで約3時間

●新大阪駅から特急「特急くろしお号」で
「新宮」駅まで約4時間
 新宮駅から普通列車で
「熊野市」駅まで20分

(車)
「名古屋駅」から
東名阪自動車道⇒紀勢自動車道「紀伊長島」IC⇒
「尾鷲北」IC⇒ー国道42号ー尾鷲南ICー熊野大泊ICまで
※鬼ケ城は、熊野大泊IC出口から約1分です。

「大阪」から
西名阪自動車道(柏原IC)⇒R165⇒
大和高田⇒R24⇒橿原⇒R169⇒R309⇒
R42号経由にて熊野市まで約3時間(約140km)
※交通事情等により変更が生じる場合があります。

【トイレ】
東側に男女別の水洗トイレがあります。

【駐車場】
東側に無料の駐車場があります。

【売店】
土産品やお弁当、軽食などが売っています。
鬼ヶ城 マンホール ポケモン 熊野市

【所在地】
〒519-4323 三重県熊野市木本町1835

滞在所要時間:40分~
(展望台含まず、鬼ヶ城遊歩道は3分の1程度)

花山天皇~藤原氏の策略で19歳で出家、独創的な発想の持ち主で好色、観音巡礼が後に「西国三十三所巡礼」として継承。

熊野那智大社~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部、熊野三山です。

青岸渡寺~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部で西国三十三所第1番札所です。

那智の大滝・飛瀧神社~滝をご神体とする自然信仰の聖地、日本三名瀑で世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

熊野速玉大社~元宮は巨岩のゴトビキ岩がある神倉神社、境内にはナギの巨木があり世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

堀内氏屋敷~堀内新宮城とも呼ばれた熊野水軍の将であった堀内氏善の居城跡です。

新宮城~源行家の姉の丹鶴姫が住んでいた地、続日本100名城で国の史跡。

鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。

鬼ヶ城本城~有馬忠親の隠居城でしたが攻城され熊野水軍を率いた堀内氏善が治めました。

紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。

南紀勝浦温泉~熊野三山、吉野熊野国立公園の拠点で太平洋に面した自然の洞窟の浴場があります。

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