津城址、三重県は近畿?中部?そして帰路へ~奈良旅⑯

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宿泊先の「火の谷温泉 美杉リゾート」で朝風呂にゆったりとつかり、
7時から開始の朝食もバイキングでした。
夕食と異なり、席は自由に選べるので、
出来るだけ飲み物がおいてあるところから近いところを選びました。
だし巻き卵が特に美味しかったです。
チェックアウトをして津の市街方面に向かいました。
旅も最終日を迎えると、一抹の寂しさを感じます。
美杉を出るころは、空はまだ厚い雲に覆われていましたが、
伊勢湾に近づくにつれて、雲が薄くなってきて、
晴れ間も出てくるようになりました。
そして、津市役所のそばにある「津城址」に到着しました。
国道23号線(伊勢街道)を通って、三重会館の信号を左折します。
県道42号線に入り、「聖ヤコブ教会・幼稚園」を左折します。
そして、二つ目の信号をまたも左折し、
4本目の道を左折し、警察署の前を通って「百五銀行」裏の駐車場に止めました。

随分と遠回りしてしまいましたが、
この辺りは一方通行が多く、
そのため、お堀公園の周辺を周回する羽目になってしまいました。
<津城址(つじょうし)・丑寅櫓(復元・昭和33年)>
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別名は安濃津城(あのつじょう)というそうです。
歴史は古く、平安時代にはすでに津は伊勢国の政治経済の中心地であったようです。
古称は安濃津(あのつ)でした。
お城の起源は戦国時代の永禄年間(1558年 – 1569年)に、
鎌倉時代から支配していた長野氏の一族の細野藤光が、
安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まりました。
その後、織田信長の伊勢侵攻があり、秀吉の時代を経て江戸初期には、
伊予今治藩より藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城してきました。
築城の名手と評判の高い高虎は城の大改修に着手し、
輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備し、
やがて藤堂氏は32万3000石の大大名となり、
以後、明治維新まで藤堂氏の居城となったのでした。
<藤堂高虎公の像>
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津城址の案内です。<津城跡>
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現在は整備されて、「お城公園」として本丸跡に日本庭園が整備されています。
また、本丸跡の日本庭園入口には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存しています。
<入徳門>
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<お堀と石垣>
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また、お堀公園に隣接している「高山神社」には藤堂高虎公が祀られています。



そして、津市内の日帰り温泉に入り、帰りの電車までのんびりと過ごしました。
一つ疑問がここでありました。
「三重県」は中部・東海地方なのか?近畿地方なのか?
ということです。
地元の食べ歩きや観光案内の冊子を見ると、
文化圏はどうも中部よりなのですが
日帰り温泉のお客さんの会話は関西圏の発音なのです。
関西圏の発音、といっても大阪に比べればソフトな感じで、
特に若い女性の会話はほわほわっとして可愛らしいものでした。
すると、三重県のホームページで下記の様な記載がありました。
三重県
読んでいただければお分かりになると思いますが、
結論としては「中部地方であり近畿地方である」そうです。
実は「近畿地方」という呼称が使われだしたのは、明治以降の事なんだそうです。
まあ、関東地方でも、栃木県や茨城県の北部はどことなく福島県に近いし、
神奈川県も、相模川辺りから静岡県東部にかけては、
何となく近しいものがあるし、
町田市と相模原市は、東京都と神奈川県に分かれてはいるけれど、
境界線はほぼ、境川という小川で(大雨が降るとすぐ氾濫しますが)、
「町田・相模原」という一つの文化圏(?)ですし。
ここまで記すと、歴史古い三重県エリアと「町田・相模原」を一緒にしないでと
云われそうですが、あくまでもたとえとして受け流していただければと思います。
時間は迫り、レンタカーを返却して再び近鉄アーバンライナーに乗りました。
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帰りは、デラックスカーでした。
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全席一人掛シート・横3列で、ゆったりとしています。
前方の客室出入口上部には、
旅客案内表示やサービス案内表示ができる
22インチの大型ディスプレイが設置してあります。
デラックスカーをご利用の場合は、普通運賃・特急料金の他に特別車両料金 が必要です。
そしてJR東海・東海道新幹線ホームです。
行き同様に、修学旅行専用と思われる団体車両が表記されていました。
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車窓から見た浜名湖です。
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こうして奈良への旅路(一部・三重県)は終わりました。
奈良旅(一部、三重県)総括~パワースポットと少々不思議な話。
この旅路の始まりはこちらからどうぞ⇓⇓⇓
新幹線と近鉄で津へ、そしてレンタカーで奈良路へ~奈良旅①
初瀬街道の阿保宿を通って長谷寺へ~奈良旅②
大神神社めぐり~奈良旅③
狭井神社めぐり~奈良旅④
久延彦神社めぐり~奈良旅⑤
箸墓古墳~奈良旅⑥
天川村・洞川温泉~奈良旅⑦
洞川湧水群~奈良旅⑧
龍泉寺~奈良旅⑨
天河大弁財天社~奈良旅⑩
金峯山寺・吉野へ~奈良旅⑪
脳天大神・吉野~奈良旅⑫
如意輪寺と後醍醐天皇陵・吉野路~奈良旅⑬
名松線・美杉地区、宇陀松山城址~~奈良旅⑭
北畠氏館跡・美杉リゾート(三重県)~奈良旅⑮

藤堂高虎~渡り奉公人の代表格で主君とは対等に近し、築城三名人と称され藩政も長けていました。

赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。

田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。

木造城~北畠氏領域の最北端に位置し木造氏は北畠一族だが織田信長に従い北畠氏攻略の先駆けとなった。

伊勢・上野城~津城の仮城で織田信包が分部光嘉に築城させ、伊勢湾を一望できる眺めの良い城跡です。

沢城~築城は関盛澄で神戸氏を称し約200年間神戸氏代々の居城でした。

伊勢・神戸城~神戸具盛もしくは神戸利盛が築城、織田(神戸)信孝により修築され江戸時代は神戸藩がおかれました。

松坂城~蒲生氏郷が築城し、中でも壮大な石垣が実に見事な日本100名城及び国の史跡です。