2泊3日の駆け足で巡った奈良の旅路でしたが(一部三重県)、
実は私にとっては、奈良は京都よりも落ち着く場所でありました。
(1)から(16)まである奈良旅(一部、三重県)の記事はこちらからどうぞ⇓⇓⇓
新幹線と近鉄で津へ、そしてレンタカーで奈良路へ~奈良旅①
初瀬街道の阿保宿を通って長谷寺へ~奈良旅②
大神神社めぐり~奈良旅③
狭井神社めぐり~奈良旅④
久延彦神社めぐり~奈良旅⑤
箸墓古墳~奈良旅⑥
天川村・洞川温泉~奈良旅⑦
洞川湧水群~奈良旅⑧
龍泉寺~奈良旅⑨
天河大弁財天社~奈良旅⑩
金峯山寺・吉野へ~奈良旅⑪
脳天大神・吉野~奈良旅⑫
如意輪寺と後醍醐天皇陵・吉野路~奈良旅⑬
名松線・美杉地区、宇陀松山城址~~奈良旅⑭
北畠氏館跡・美杉リゾート(三重県)~奈良旅⑮
津城址、三重県は近畿?中部?そして帰路へ~奈良旅⑯
今回、奈良に行こうとした目的は、
1)子供の修学旅行に合わせて関西地域。
2)普段は行けない奈良の山間の場所。
3)「名水」でした。
そして、天川村・洞川湧水群・吉野となったのでした。
更に、奈良に行くのならば、挨拶しなくては・・
と前回の奈良旅の時には行けなかった「大神神社」に行くことになりました。
ただ、同行者が前回の奈良旅でもいった長谷寺に行きたい、とのことで
長谷寺がとても気に入っていることと、
鎌倉の長谷寺に詣でたので、
奈良へ行くのだからこちらの長谷寺にもいかなくては・・
ということで三輪山登拝は、この時点で今回は諦めました。
功を奏したのか?
丁度長谷寺は春季の特別公開で観音像の、おみ足をなでることができました。
夢で訪れた場所
三輪山には磐座がたくさんあるそうですね・・。
昔、神倉神社に詣でた時の「ゴトビキ岩」の大きさには驚きましたが、
実はその神社は、訪れる前に夢で一足先に訪れていた場所でした。
なので、三輪山はそのような事がなかったので、
またの機会を待つことにしました。
実は、今回の奈良旅も一足先に夢で訪れていた場所がありました。
その一つは天川村の「龍泉寺」でした。
本堂の内部と竜の口の流れ出るところ、少し上った処にある
女性のために造られた滝行場です。
実際に訪れて感じたことは、
あまり大々的には取り上げられてはいませんが、
この場所も強いキリッとしたエネルギーが、
素人の私にも感じ取ることが出来ました。
土地が持つ力と修験者たちの思いがミックスされて
この龍泉寺に渦巻いているのかもしれません。
清らかで豊富な水、正に弁天様のおわす場所。
洞川湧水群の名の通り、
豊富で清らかな水が流れている処です。
その地には弁天様がおられるということで、
正に天川村には弁天様が降臨されて、守護しているのでしょう。
実は、去年は厳島を訪れ、今年の江島そして天川といい、
ここしばらくの間、弁天様にご縁があるのです。
狭井神社にも、市杵島姫命を祀った神社があり、
市杵島姫命は弁財天でもあるので、
しっかりお参りさせていただきました。
到着した頃は、家族連れなどでにぎわっていたのに、
やがてすっと静かになり、誰もいなくなり、
静寂の中、お参りすることが出来ました。
また、狭井神社ですが、
光の具合や輪郭線が太い、というか、
そんな感じを受けました。
太くて温かいものを感じた狭井神社。
対照的に、村人の健康を守り結界の役目を果たしていた
「天川村」の「泉の森大神」には、
場所的にも「龍泉寺」ととても近いので、
この場所もキリッとして
背筋がピンと伸びるような清涼で鋭いものを感じました。
すぐ隣はオートキャンプ場ですが、
どうか大切に利用してほしいと願わずにはいられません。
その対照的なものが「天河大弁財天社」でした。
雨の予報が覆り、晴れて暖かくなりましたし、
この中央地区そのものがもつ
自然のエネルギーが優しいのでしょうね。
神社、というより土地に宿るエネルギーを
肌で感じ取ることが出来ました。
数年前に台風の被害にあい、大変だったそうですが、
訪れた日は、本当に穏やかで優しく、
包み込まれているような錯覚を感じた程でした。
そこにひっそりと建つ天河神社は、
やはり舞のある時に訪れるのがいいのかもしれません。
実は、学生時代に能楽研究会に所属し、
お仕舞を学んでいました。
武家の能楽である喜多流でしたので、
お仕舞の型は最もシンプルでした。
すり足が難しくて、習得するのに五か月近くかかりました。
吉野
吉野に入ると、
日差しは強いのに、風が意外と冷たかったのでした。
でも、その冷たさは、
天河神社あたりで「ほわん」とした気持ちを
再びシャキッとさせるような感じでした。
吉野全体がひとつのパワースポットだと思います。
弱気や迷いをはらい、
明日への希望をつなげるような気持ちを持たせるような。
その要所要所に建つ神社や仏閣はそれぞれその土地や空気が持つ
エネルギーをわかりやすく具現化したものかな?と思います。
その代表格が金峯山寺なのかもしれません。
夢で訪れていた場所「脳天大神」
そして、この地は、
夢で一足先に訪れていた場所<その2>でもありました。
正確には、金峯山寺よりずっと下に下りて行ったところにある
「脳天大神」です。
ここの「本堂」と「お百度参り」及び「祖師堂」が夢で見た場所でした。
455段の階段を上って、再び上に戻ってきた時、
「よし、頑張ろう!」いう活力が出てきました。
そして「龍泉寺」と「脳天大神」の共通点は何か?
と考えてみますと・・・
共に女性のための修験道の場がある、ということでしょうか?
実際には「修験道」は出来ませんでしたが、
毎日の生活を「修行」として自己を見つめ、
明日への活路を見出す、事として、
今回呼ばれたのかもしれません・・。
そして実際に、この日の吉野は強風で、
邪気や穢れを祓うように、ゴオっと強風が吹き荒れていたのでした。
大海人皇子や後醍醐天皇が、
「明日」のために決起した、もしくは再起をかけた場所で、
実際壮絶な戦も繰り広げられた場所なのですが、
京都と違って「清浄」な空気があるのです。
京都・鎌倉はコワイ場所
中学・高校と修学旅行は京都でしたが、
実は行くたびに、体の不調が起こり、
帰宅してもしばらくは不可解なことが起きていました。
滞在している時も、
体中の体毛や髪が逆立つような感覚がしていました。
時は流れ、21世紀に入り、母親になり、
家族でようやく安心して京都に行けるようになりました。
その時は、体中の毛が逆立つような感覚はありませんでした。
同じような場所が鎌倉にもあります。
京都の場合と異なるのは、限定されている場所、という点です。
その場所に足を踏み入れてしまったとたんに、
悪臭に始まり、寒気や吐き気、馬のひづめの音や、
矢で射抜かれたような強烈な痛みなどを感じてしまい、
その後、著しく体調を崩してしまい、
何とか這うように帰宅し、寝込んでしまった事もあります。
でも、吉野には一切そうしたものを感じなくて、
清々しさのみ感じられました。
後醍醐天皇
吉野と深いかかわりをもつ後醍醐天皇ですが、
実は私の世代は後醍醐天皇は別の意味でも有名なのです。
と、いうのは、丁度小学校で歴史を習う頃に、
バンド「ゴダイゴ」が一世を風靡し、英語の歌詞を覚え、
楽器をやっている子はコピーするなどしてそれは人気でした。
そこへ歴史で「後醍醐天皇」登場ですからね。
同名の「後醍醐天皇」も注目されて、人気があって、
クラスの大半の子がきちんと名前を漢字で書き、
「後醍醐天皇」が活躍したその時代の背景も独学で勉強して
やたら詳しくなった子が多かったのを記憶しています。
小学校では、鎌倉幕府滅亡から建武の新政程度しか習いませんが、
南北朝まで詳しく調べ上げて、教室で議論した記憶もあり、
小学生なのにやたら南北朝に興味をもった頃でもありました。
なので、満を期して(?)
後醍醐天皇陵に参拝できたので良かったです。
失意の中、
この世を去った後醍醐天皇の享年と同世代となりましたが、
まだまだ、したたかに生きていかなければならないので、
小学校時代の思い出と吉野に来れたことに感謝して、
先の見えない混迷した時代に生きる50代をお見守りくださいと参拝しました。
役小角
江島めぐりから続く、役小角の足跡を巡る旅でもあります。
神奈川県でも多数、足跡があります。
実は、前回、奈良を訪れた際に「高鴨神社」に参拝しました。
役小角は鴨(賀茂、加茂)族出身といわれており、
この「高鴨神社」は鴨一族の守護神を主祭神として祀っている神社です。
次回は・・
途中、2日目の朝に小雨がふり、三重県に入ったあたりでも
雨模様でしたが、全体的には天候には比較的恵まれました。
今回は、ほぼ夏旅となりましたが、
奈良といえば、私の中ではやはり晩秋のイメージがあります。
前回訪れた時も、真夏でした。
次回、機会がありましたら、今度は紅葉のシーズンである
11月頃に訪れてみたいと思います。
しかも、1週間くらい時間をかけてじっくりと回ってみたいです。
美杉リゾート
奈良県に別れを告げて、吉野路から鉄道最寄り駅への順路として
美杉に入りました。
ここで出会えた素晴らしい路線である「名松線」は、
ジオラマを作ってみたいという思いにかき立てられます。
宿泊した美杉リゾートはふんだんな食材とおもてなし精神あふれる
よいホテルでした。
正直、最初は鉄道駅までの順路の立ち寄り、としてでしたが、
また宿泊してみたいホテルでした。
露天風呂付のコテージもあって、家族など大勢で泊まる時は、
コテージが良いかと思います。
以上、奈良旅(一部、三重県)総括でした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。