北畠氏館跡・美杉リゾート(三重県)~奈良旅⑮

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国道368号線(伊勢木街道)から県道30号線に入り、多気町に入ってきました。
時が止まってしまったのか、
或いはゆったりとした流れであるのか、
古くどこか品の良い町並みがあらわれます。
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【北畠氏館跡(霧山御所・霧山城)(きりやまごしょ・きりやまじょう)】
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霧山城(きりやまじょう)または別名多気城(たげじょう)は、
伊勢国一志郡多気(現在の三重県津市美杉町上多気および美杉町下多気)に
かつて存在した日本の城跡です。
城跡は城跡は国の史跡に指定されており(史跡「多気北畠氏城館跡」のうち)
伊勢国司から公家大名及び戦国大名となった北畠氏の本拠地です。
北畠氏は南朝方でした。
今はひっそりとしていますが、
当時は、
多気は伊勢国と大和国を結ぶ伊勢本街道沿いにある交通の要所であると同時に、
7つの経路のどれをとっても峠越えとなる天然の要害でした。
城郭本体だけでなく、麓の城下町まで含めて、
大要塞を成していたとも解釈できます。
城下には3500戸ほどが建ち並び、
700人から1000人の家臣が暮らしていました。
多気から南西へ16里(1里4キロ)行けば南朝の拠点である吉野へ、
南東へ12里行けば伊勢神宮へ至ることから、
どちらで非常事態が発生しても1日で駆け付けることができました。
南朝へ米や海産物を運び込む上でも好都合でした。
また北朝の都・京都に比較的近いことも利点の1つでした。



霧山城下に居を構えた家臣は、
全家臣15000人のうちの
20分の1から15分の1が多気に控えていたことになります。
霧山御所(多気御所)の左右両側は、
御犬馬場、御的場、御米土蔵、重臣・内者の屋敷など
約200の建物が並んでいました。
ほかに市場や御用主屋舗が数か所に分かれて集中し、
商工業者も少なからず集まっていました。
そして、天正4年(1576年)の霧山城落城により城下町も消えていきました。
やがて江戸時代に入り、お伊勢参りの人々が集う宿場町として再生しました。
今世紀初頭には「山深いのどかな里」となり、旧家が建ち並んでいます。
城跡は1936年(昭和11年)に「霧山城跡」の名称で日本国の史跡に指定され、
山麓の北畠神社にある庭園は「北畠氏館跡庭園」の名称で
日本国の名勝および史跡に指定されました。
2006年(平成18年)7月28日付で、
文部科学大臣により史跡の統合・追加指定および名称変更が行われました。
これにより、「霧山城跡」と「北畠氏館跡庭園」の2件の史跡を統合し、
指定名称が「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」と変更されました。
(以上、参考:ウキペディアより)
営業期間 開園:午前9時~午後5時
休園:年中無休
所在地:〒515-3312三重県津市美杉町上多気
電話:059-275-0615
交通アクセス:JR名松線伊勢奥津駅から車で10分
<北畠神社>
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北畠神社の由緒です。
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初代の城主北畠顕能公、
父・北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)と
兄・北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)を祀っています。
父・北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は学業に優れ、
兄・北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)は文武両道で見目麗しい若者であったと伝わります。
別名を「花将軍」ともいわれ、
武田信玄に先駆けて「風林火山」の旗印を用いたとされます。
1991年のNHK大河ドラマ「太平記」で
後藤久美子さんが北畠 顕家役を演じていました。
NHK大河ドラマ関連の記事です⇓⇓⇓
歴代NHK大河ドラマと私。2020年決定!「麒麟が来る」明智光秀・長谷川博己さんが主演。
<橋を渡って左に行くと霧山城址で
右は北畠神社及び北畠氏館跡>

北畠神社から山頂の霧山城の登山距離は約2キロメートルです。
<霧山城址>
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北畠氏館跡庭は、池泉式回遊庭園です。
入園料は300円で北畠神社の社務所で受付をします。
<初代:北畠顕能公の歌の碑>
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北畠神社にはバス停があります。
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時刻表です。
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さらに、八手俣川(はてまたがわ)の対岸にある美杉町下多気小字六田には、
東御所(東御所金吾城)という土塁・堀を持つ居館跡があります。
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発掘調査によって見つかっている館跡には、
15世紀前半前期と15世紀末と16世紀初頭の2系統があり、
日本の歴史上でも古い石垣などが確認されているそうです。
そしてこの日の宿泊先へと向かいました。



<日の谷温泉 美杉リゾート>
客室です⇓⇓⇓
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客室のベランダから見た風景です⇓⇓
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良く晴れていれば、ベランダから満天の星が見えるそうです。
ロビーには端午の節句の飾りがありました。
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日の谷温泉 美杉リゾート、洋室、忍者ビールしゃぶしゃぶ付き90分バイキング
種類が多く、とても全ての品は食べきれないほどです⇓⇓
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ステーキ、目玉である忍者ビールしゃぶしゃぶ、更に餅つきのイベントもありました。
お刺身も分厚くて食べでがありました。
平日でしたが、サービスたっぷりのおもてなしでした。
日の谷温泉 美杉リゾートの温泉分析書別表です⇓⇓
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自家源泉で「美肌」及び「清涼」の湯です。
ビール風呂や京都大学との共同研究中のプレミアムヒノキ風呂もあります。
地下一階の大浴場は夜は深夜0時まで利用可能で、
翌朝は男女入れ替えで午前6時から9時30分までとなります。
朝食もバイキングスタイルです。

奈良旅(一部、三重県)総括~パワースポットと少々不思議な話。
この旅路の始まりはこちらからどうぞ⇓⇓⇓
新幹線と近鉄で津へ、そしてレンタカーで奈良路へ~奈良旅①
初瀬街道の阿保宿を通って長谷寺へ~奈良旅②
大神神社めぐり~奈良旅③
狭井神社めぐり~奈良旅④
久延彦神社めぐり~奈良旅⑤
箸墓古墳~奈良旅⑥
天川村・洞川温泉~奈良旅⑦
洞川湧水群~奈良旅⑧
龍泉寺~奈良旅⑨
天河大弁財天社~奈良旅⑩
金峯山寺・吉野へ~奈良旅⑪
脳天大神・吉野~奈良旅⑫
如意輪寺と後醍醐天皇陵・吉野路~奈良旅⑬
名松線・美杉地区、宇陀松山城址~~奈良旅⑭
津城址、三重県は近畿?中部?そして帰路へ~奈良旅⑯

三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。

岩出城~北畠氏の一族である田丸直昌が築城、後に蒲生氏郷に従い、会津へ付き従いました。

田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。

大河内城~大河内御所と呼ばれた北畠三御所の中でも代々の筆頭格で、 宗家が絶えた際には継ぐ立場でした。

木造城~北畠氏領域の最北端に位置し木造氏は北畠一族だが織田信長に従い北畠氏攻略の先駆けとなった。

織田信雄~織田信長の次男、散々な目に遭うも長生きしその血筋は明治維新まで受け継がれました。

本居宣長と旧宅~国学の四大人であり、文献学者で医師で源氏物語をこよなく愛した人物です。