【竹富島】
竹富島(たけとみじま)は、
沖縄県の八重山列島にある島です。
全島が沖縄県八重山郡竹富町に属しています。
八重山列島の中心地である
石垣島の南約6kmに位置し、
石垣港からは高速船で約10分の距離にあります。
【名称】
最初に竹富島に渡来して
新里村を開いたと伝わる
伝承上の人物で、
六山のひとつである
花城御嶽に祀られている
タキンドゥン(タガニドゥン、他金殿)が
島名の由来とのことです。
1697から作成された
「元禄国絵図」には「たけとみ嶋」、
1719年に新井白石が著した「南島志」には
「堂計止美島」(タケトミ)と記されており、
この頃から「たけとみ」という呼称が
存在していたことが分かります。
現代の竹富島方言(テードゥンムニ)では
「テードゥン」、石垣方言では
「タキドゥン」というそうです。
漢字では、古くは「竹富」と表記されていました。
1729年に琉球王府が「竹」の字の使用を
禁じたため「武富」と表記するように
なったとのことです。
以降、「武富」と表記されていましたが、
明治20年代頃から再び
「竹富」と表記されるようになったということです。
【自然】
<コンドイ浜>
看板には「コンドイ園地」と表記されています。
竹富島唯一の海水浴場でもあります。
西海岸は西表石垣国立公園の
第2種特別地域に指定されています。
島の成り立ちは
サンゴ礁の隆起によって
生じた琉球石灰岩からなる低島であり、
平坦地が多いです。
南北にやや長い楕円形をなしており、
周囲は約9km。
全島が西表石垣国立公園に
指定されています。
特に海水浴等の利用者が多い
コンドイ浜(海水浴場)や
星砂で有名なカイジ浜(皆治浜)
がある西海岸は、第2種特別地域に指定されています。
なお、星砂浜(カイジ浜)は潮流が速いため、
遊泳は禁止されています。
<星砂浜(カイジ浜)>
<動画・星砂浜>
また、日本最大のサンゴ礁である
石西礁湖内に位置しており、
多様なサンゴ群落が発達し
ダイビング利用者も多い
島北西部のタキドゥングチ、
島南西部のシモビシ、
南部の竹富島南沖礁の各海域は、
海域公園地区に指定されています。
<海底温泉>
島の北東部約1km・水深約20mの地点には
海底温泉が確認されており、
観光資源として活用することが
検討されているとのことです。
ただし、環境への影響や
施設の運営、維持管理費の確保などが
課題となっており、
海底温泉の場所は
ダイビングポイントでもあるため
温泉の活用には慎重な意見もあるとのことです。
【集落】
東集落(アイノタ)、
西集落(インノタ)、
仲筋集落(ナージ、南集落とも)の
3つの集落が島の中央部から
北西部にかけて位置しています。
<景観>
集落景観は、木造赤瓦の民家と
白砂が撒かれた道を基調としています。
町並みは、昭和62年(1987年)に
重要伝統的建造物群保存地区
として選定されています。
島のほぼ中心部にある
赤山公園内のなごみの塔
(2016年から立入禁止)からは、
赤瓦屋根の集落が見渡せました。
<なごみの塔>
なお、竹富島で最初に赤瓦屋根の家屋が
建てられたのは明治38年(1905年)ですが、
大正に入ってから富裕層にも普及したものの、
昭和39年(1964年)においても
主屋の約4割は茅葺のままであり、
赤瓦の家屋の建築が盛んになったのは
1970年代以降であるとのことです。
各集落の入り口には、
ガジュマルの大木の周囲に
石垣を積んだ「スンマシャー」と呼ばれる広場が
設けられています。
風水思想に基づくもので、
外からやってくる魔物や
病害を避けるため、
スンマシャーによって道を曲げたり
Y字路にしたりしています。
また、生活の場と
その外側の境界としての役割もあるとのことです。
【人口】
竹富公民館の2019年
春季島勢調査によりますと、
人口364人(2018年秋から28人増)、
戸数177戸(同10戸増)。
住民登録に基づく人口は342人
(2021年3月末現在)、
世帯数180戸(2021年3月末現在)。
【歴史】
竹富島の遺跡で最も古いものは
無土器期のカイジ浜貝塚と
コンドイ浜貝塚です。
コンドイ浜貝塚は採砂により
ほとんど破壊されてしまいましたが、
カイジ浜貝塚からは、
方形の掘っ立て柱建物跡3棟が
確認されるとともに、
シャコ貝製貝斧や石斧が出土しており、
その年代は12世紀と推定されています。
竹富町の史跡に指定されている
島東北部の新里村遺跡からは
陶磁器の破片や穀物の種子、
石積みの跡が出土しています。
年代は竹富島最古の井戸といわれる
花城井戸(ハナックンガー)を境に
東側(新里村東遺跡)が12世紀頃、
西側(新里村西遺跡)が14世紀~15世紀頃と
推定されています。
竹富島中世の遺構として
石積の状態も良好とされている
花城・久間原遺跡は15世紀から
16世紀頃と推定されています。
ただし現在は茂みに覆われて
その遺構は見学することは叶いません。
伝承では、竹富島では、
1500年のオヤケアカハチ戦争の際、
宮古軍の総大将であった
仲宗根豊見親が
東集落南東部にある小高い丘に
城を築いたと伝えられています。
その地はトゥールングック(豊見親城)と呼ばれ、
豊見親の掘り当てた井戸は
トゥンナーカー(豊見親井戸)と
呼ばれています。
また、島の偉人として
敬愛されている西塘は、
オヤケアカハチ戦争の際に
首里王府軍の総大将であった
大里按司に首里に連れ帰られ、
三司官の家に仕えて、
やがて大成しその名を
知られるようになったとのことです。
特に石工技術に秀で、
首里城の園比屋武御嶽石門の扁額には、
この石門は1519年に
竹富島の西塘が建立したとありました。
西塘は、1524年頃に
琉球王国第二尚氏王朝
第3代国王である尚真王より
八重山の頭職である
武富大首里大屋子
(たけとみうーしゅりうーやく)
の官位を授かり、
竹富島のカイジ浜に蔵元(行政府)を置き、
八重山を統治したと伝えられています。
現在、町役場は石垣市に置かれています。
【通耕】
島は隆起サンゴ礁でできているため
稲作に適していません。
けれども琉球王府時代には
米での納税を求められたため、
島民は船で西表島に渡って
耕作する通耕を行っていました。
通耕は明治12年(1879年)の
琉球処分後も続けられていましたが、
昭和20年(1945年)
の太平洋戦争終結後、
台湾や本土へ出稼ぎに出ていた
出身者が大挙島に戻り
島内の食糧事情は悪化しました。
そこで、島民の食糧確保のために
昭和25年(1950年)、
西桟橋が現在の姿に整備されました。
西表島への通耕は
本土復帰前後まで行われていたとのことです。
【町並み保存・竹富島憲章】
「竹富島憲章」は、
「妻籠宿を守る住民憲章」などを参考にして
昭和61年(1986年)3月31日に制定。
同憲章には、「売らない」、「汚さない」、
「乱さない」、「壊さない」という
島を守るための4原則に、
伝統文化と自然・文化的景観を
観光資源として「生かす」を加えた
5つの基本理念をはじめ、
島の伝統文化を大切にする精神や
来島者を接遇する際の心構えなどが
謳われています。
<竹富島の伝統的工法による琉球瓦を使った屋根とシーサー>
【入域料】
竹富島では、2019年9月1日から、
自然環境保全事業や
農村集落景観保全のため
土地取得事業等に充当するため、
全国で初めて、
地域自然資産法に基づく
入島料(入域料)の徴収を行っています。
当初徴収は竹富島と石垣島等を結ぶ
船会社3社に委託し船賃に上乗せする方法を
検討していましたが、
船会社との調整が間に合わず、
その後も徴収について
合意に至らなかったため、
竹富町は石垣港離島ターミナル及び
竹富港ターミナル内に券売機を設置し、
任意で徴収することとなりました。
入域料は300円で、
島民外を対象としています。
【産業】
観光が主要産業です。
島内には十数か所の民宿に加え、
旅館1軒、ゲストハウス1軒、
ホテル2軒
(星のや竹富島(2012年6月開業)[54]、
ピースアイランド竹富島(2012年8月開業))
があります。
けれども、石垣島に宿泊し
日帰りで島を訪れる観光客が大半です。
島の南部には、県内有数規模の
約70,000 m2の車海老の養殖場や、
1969年に島民によって設立された
竹富共同牧場組合の牧場があります。
竹富公民館の2019年春季島勢調査によりますと、
島内の動物は、牧場牛134頭、
水牛33頭、山羊27頭、馬4頭です。
※瞳が何とも愛らしいのです。
【文化】
数多くの歌謡(民謡・古謡・わらべうた)、
芸能、伝承、風習などの
伝統文化を継承しています。
【民芸】
織物などの民芸が盛んで、
「民芸の島」とも称されているそうです。
芭蕉布の原料となるバショウや、
麻布の原料となる苧麻(ちょま)が
あちこちにみられます。
現在でも竹富民芸館を中心として、
八重山ミンサーやぐんぼう(交布)などが
織られているそうです。
【八重山ミンサー】
「いつ(五)の世(四)までも末永く」
を意味する、5つと4つの升目からなる
八重山ミンサーの一般的な
デザイン発祥の地でもあるとのことです。
【祭事】
竹富島には数多くの祭礼が継承されています。
祭祀は大まかに「祈願祭」と
「感謝祭」に分類されるそうです。
祈願祭は五行の土又は木の日、
感謝祭は水の日を選ぶことが
基本となっているそうです。
プイ(豊年祭)や結願(キツガン)祭、
節祭(シチ)といった
八重山の各地で行われている祭に加え、
世迎い(ユーンカイ)、
十五夜祭(ジングヤ)など
竹富島独特の祭もあるそうです。
【種子取祭】
祭の中で特に盛大なのは、
国の重要無形民俗文化財に
指定されている
種子取祭(タナドゥイ)です。
陰暦の9、10月中の甲申(きのえさる)の日から
10日間の祭の期間には
数々の神事が行われ、
祭の7、8日目には
多くの奉納芸能も行われるとのことです。
期間中は多数の観光客も訪れて
島は活況を見せるそうです。
種子取祭(タナドゥイ)が
他の地域で行われる種子取祭と
大きく異なる点は、
粟を主作物としていることと、
祈願の日を戊子(つちのえね)
としていることです。
つまり、粟と戊子は、
竹富島の種子取の象徴ともいえます。
ちなみに7日目の夜に執り行われる
「世乞い」の道歌では
麦、粟、米の順番で謡われますが、
これは播種の順であるとのことです。
<世持御嶽(ユームチオン)・広場>
種子取祭の場所となるそうです。
【信仰】
島内には約28か所の御嶽が存在するといわれ、
特に竹富島の始祖と云われる
6人の親神を祀った御獄は
六山(ムーヤマ)と呼ばれ、
各種の神事の行われる最も
重要な拝所とされています。
竹富島の血縁者は必ず
六山の氏子に所属するとのことです。
ナーキヨイやプイなどの氏子が
主体となる祭にはそれぞれの御嶽に集い
家族の安寧や健康を祈願します。
長らく竹富島に居住する移住者も
島民に認められれば
氏子になることができるそうです。
六山にはそれぞれ神と
氏子の仲介役を務める神職、
神司(カンツカサ)が存在します。
神司は女性で世襲で引き継がれており、
御嶽の香炉を預かります。
さらに御嶽には、
氏子を統括する責任者の
殿居元(トゥヌイムトゥ)や
氏子の世話役となる
カンマンガーなどの役職があり、
これらも世襲で引き継がれているとのことです。
また、六山の御嶽とは
直接関係はないですが、
種子取祭で奉納する
芸能の統括者を
長者(ホンジャー)といい、
五穀豊穣・子孫繁栄の神とされる
弥勒神(ミルク)の御面を管理する家、
弥勒神の御面を着ける家と
それぞれ世襲で引き継がれています。
さらに、西塘が園比屋武御嶽の神を招いた
八重山唯一の首里王府ゆかりの国仲御嶽、
島づくりの2神が祀られる
清明御嶽を加えると八山(ヤーヤマ)、
西塘の住居跡で現在は墓所となる
西塘御嶽(沖縄県史跡)を加えると
九山(クヌヤマ)ということです。
【交通】
島外との交通
竹富東港(竹富港)から、
以下の定期旅客航路(高速船)
が運航されています。
<動画・朝の石垣離島ターミナル>
船が続々と出港していきます。
<八重山観光フェリー>
◆石垣港(離島ターミナル):
所要10分、朝から夕方まで30分おきに運航。
<石垣港(離島ターミナル)>
◆西表島大原港:
大原港からの片道のみ、1日1便のみ運航。
◆小浜島小浜港:
所要20分。1日1便のみ運航。
<安栄観光>
◆石垣港(離島ターミナル):
所要10分。
朝から夕方まで30分おきに運航。
※1日11往復
◆西表島大原港:
大原港からの片道のみ、
1日1便のみ就航(竹富寄港は不定期)。
他に石垣港(八島ふ頭)との間で、
八重山観光フェリー及び
安栄観光が及び
貨客航路(貨客船(フェリー))を
それぞれ週2便運航しています。
【島内の交通】
島内に県道はありません。
町道としては、
竹富東港と集落を結ぶ大舛線や、
島を一周する竹富一周線があります。
大舛線では景観に配慮して
電線地中化が進められており、
観光客の自転車の通行が多い
竹富一周線では
自転車通行帯の整備が
計画されています。
なお、島内に信号機はありません。
<レンタサイクルの需要>
起伏が少ないことから、
貸し自転車の需要が高く、
その台数は2018年秋から
1000台を超えているとのことです。
【公共交通】
竹富島交通が
路線バスを運行しています。
小型バスによる運行であり、
竹富港発以外は予約が必要となります。
【文化財】
(国指定等)
◆旧与那国家住宅
◆西桟橋
◆コンドイビーチ
(史跡)
◆小城盛(クックムイ)
先島諸島火番盛のひとつ。2007年3月23日指定。
(重要文化財)
◆旧与那国家住宅
2007年12月4日指定。
(重要無形民俗文化財)
◆竹富島の種子取
1977年5月17日指定。
(重要伝統的建造物群保存地区)
◆竹富町竹富島
1987年4月28日選定。
(登録有形文化財)
◆西桟橋
2005年12月26日登録。
◆なごみの塔
2006年3月27日登録。
老朽化のため閉鎖中。
(登録有形民俗文化財)
◆竹富島の生活用具
喜宝院蒐集館収蔵品。
842点。
2007年3月7日登録。
このほか、「八重山ミンサー」が
1989年4月11日に
経済産業大臣指定伝統的工芸品に
指定されています。
(沖縄県指定)
<史跡>
◆蔵元跡
◆西塘御嶽
(竹富町指定)
<史跡>
◆ミーナ井戸
◆新里村遺跡
(有形文化財(工芸品))
◆仲筋ぬヌベマの水がめ
(無形民俗文化財)
◆ササラ銭太鼓
◆元タラクジ
◆ジッチュ節
◆祝鼓舞
◆鍛冶工主狂言
◆しきた盆
◆安里屋節
◆真栄節
◆種子蒔狂言
◆仲筋ぬヌベマ節
◆サングルロ
◆タラクジ
◆シドゥリャニ
◆天使
◆マミドーマ
【名所・自然】
<西表石垣国立公園>
1972年(昭和47年)12月26日指定
<コンドイ浜(コンドイビーチ)>
遠浅の海岸で竹富島唯一の海水浴場。
トリップアドバイザーによる
2019年の
「日本のベストビーチ トップ10」で
第3位。
<カイジ浜(皆治浜)>
星砂の浜として知られる海岸。
潮流が速いので遊泳は禁止されている。
<動画・星砂浜の透明な海の色>
<水牛車>
水牛の歩く早さで街並を巡りながら、
御者が観光案内を行う、
途中では三線の演奏も行われる。
民宿がコンドイ浜への
送迎サービスを行ったことを
きっかけに始められたとか。
<安里屋クヤマ生誕の家>
民謡「安里屋ユンタ」に歌われた
美女・安里屋クヤマの生家。
<ンブフル>
牛が一夜にして築いたと伝えられる丘。
<喜宝院蒐集館>
カイダー字(象形文字)、
藁算、パナリ焼、銭などの
歴史民俗資料を収集・展示している。
その一部は
「竹富島の生活用具842点」
として登録有形民俗文化財に登録されている。
<こぼし文庫>
岡部伊都子氏が1972年(昭和47年)に
竹富島の子どもたちへ
多数の蔵書とともに寄贈した、
竹富島初の児童向け図書館。
現在は竹富小中学校PTAが管理運営している。
<環境省竹富島ビジターセンター竹ゆがふ館>
2004年(平成16年)6月に開館した竹富島の資料館。
【竹富島の観光】
今回、竹富島を巡る際に、
往復の船代だけではなく、
バス観光も申し込みました。
<八重山観光フェリー>
「竹富島でのんびりバスの旅」
<基本料金>(2022年5月現在)
大人:3100円(2790円)
小人:1550円(1400円)
幼児:参加できます。
()内の料金はお得なWEB割です。
10%の割引になります。
今回は予報は1日中雨模様でしたが、
予報に反して晴れてきたので正規料金で申し込みました。
料金には往復船運賃・バス観光料が含まれます。
ツアー時間 約2時間~
<注意事項>
幼児(小学生未満)のお子さんは
大人1名につき1名無料となります。
昼食はつきません。
石垣港発の定期船の時間から
出発時間を選びます。
竹富島での島内バス観光後は
フリータイムとなります。
帰りの船便は都合の良い
お時間で利用いただけます。
なお、島内バス観光後に
帰る時の竹富島の
出航希望時間をバスの運転手さんに
伝えて港までの送迎の予約を取ります。
<行程表>
石垣港
⇓
竹富港
⇓
島内バス観光⇒
星砂の浜(カイジ浜)下車観光
⇒コンドイ浜(車窓)
⇓
集落到着、
竹富港までの送迎予約をとる。
(乗る予定の船の時間を伝える)
フリータイム
⇓
竹富港
⇓
石垣港
<星砂の浜(カイジ浜)>
※小さな袋を渡されます。星砂を入れます。
<集落の町並み>
<ブーゲンビリア>
<竹富島の家屋>
※バスの発着所はこの家屋の隣になります。
石垣港:13時出航
竹富島:14時50分出航
船会社と観光ツアーはこちらです⇓
八重山観光フェリー
帰路につく日だったので駆け足気味でしたが
それでも竹富島観光をすることができました。
現地所要時間はやや急ぎ気味で2時間強でした。
黒島(沖縄県竹富町)(動画あり)~人よりも牛の数が多く、ウミガメの浜もあるハートアイランド
川平湾(動画あり)~刻々と様々な碧い海色になるミュシュランガイド3つ星の景勝地。
石垣島鍾乳洞(動画あり)~日本最南端の鍾乳洞で、鍾乳石の成長が早く圧巻の空間が広がっています。
伊原間サビチ鍾乳洞(動画あり)~日本で唯一となる海へ抜ける鍾乳洞、洞窟を抜けるとそこは綺麗な碧い海だった!
八重山鍾乳洞~かつては人気のスポットでエリア内の龍神鍾乳洞が有名でした。
吹通川マングローブ群落(吹通川ヒルギ群落)~ドライブがてら気軽に見学できます。
白保海岸~新石垣空港から車で約5分の白い砂浜が美しい海岸、アオサンゴの群生地でも有名です。
名蔵アンパル~亜熱帯気候特有の動植物が分布、ラムサール条約登録地となっています。
石垣やいま村~名蔵アンパルに隣接している日本最南端及び最西端のテーマパークです。
平久保崎灯台~石垣島最北端の絶景地に位置しており、「恋する灯台」に認定されています。
石垣御神崎灯台~神が舞い降りる聖地であった岬にあり、荒々しい波と断崖絶壁と夕陽が見ごたえです。
玉取崎展望台~平久保半島や石垣島の碧い海を堪能できる眺めの良い展望台です。
オヤケアカハチ~琉球の侵攻から石垣島を守ろうとした豪族の首領で先島諸島では英雄です。
フルスト原遺跡~国の史跡で八重山の英雄であるオヤケアカハチの居城跡とも云われてきました。