【花の窟神社】
花窟神社
(花の窟神社、はなのいわやじんじゃ)は
三重県熊野市有馬町に所在する神社です。
伊弉冉尊(伊弉冊尊、いざなみのみこと)と
軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀られています。
「日本書紀」(神代巻上)一書には、
伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に
陰部を焼かれて死に、
「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、
以来近隣の住人たちは、
季節の花を供えて伊弉冉尊を祀ったと
記されています。
それが当地であると伝え、
社名も「花を供えて祀った岩屋」
ということによるものです。
神体である巨岩の麓にある
「ほと穴」と呼ばれる高さ6m、
幅2.5m、深さ50cmほどの
大きな窪みがある岩陰が
伊弉冉尊の葬地であるとされ、
白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ
拝所が設けられています。
一説には、伊弉冉尊を葬った地は
およそ西1.3km先にある
産田神社(うぶたじんじゃ)であり、
当社はこの火の神である
軻遇突智の御陵であるともいわれています。
花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の
対面にある高さ18mの巨岩が、
軻遇突智の墓所とされています。
古事記や延喜式神名帳に
「花窟神社」の名はなく、
神社というよりも墓所として
認識されていたものとみられています。
実際、神社の位格を与えられたのは
明治時代にはいってからでした。
今日に至るまで社殿はなく、
熊野灘に面した高さ約45mの巨岩です。
なおこの巨岩は「陰石」であり、
和歌山県新宮市の神倉神社のご神体である
ゴトビキ岩は「陽石」であるとして、
一対をなすともいわれ、
ともに熊野における
自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を
今日に伝えています。
2004年、
ユネスコ世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部
(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録されました。
【例大祭】
<御縄掛け神事>
2月2日(春季大祭)、
10月2日(秋季大祭)
県指定無形民俗文化財。
特別な田で作られた
もち米の藁縄7本を束ねた長さ
およそ170mの大綱に、
季節の花(2月はツバキを入れ、
10月はケイトウを入れる)を結びつけた
3つの縄幡および扇を吊して、
磐座の頂上(ウバメガシに結ばれる)から
七里御浜の海岸へと大綱が引かれ、
境内の南隅にある柱
(かつてはマツの神木)の
先端へと引き渡されます。
その大綱の先端は
地面の支柱に結びつけられます。
大綱として束ねられる7本の細い藁縄は、
伊弉冉尊の子で自然神である
級長戸辺命(しなとべのみこと、風の神)、
少童命(わたつみのみこと、海の神)、
句句迺馳(くくのち、木の神)、
草野姫(かやのひめ、草の神)、
軻遇突智尊(火の神)、
埴安神(はにやすのかみ、土の神)、
罔象女(みつなのめ、水の神)を意味しています。
また3つの縄幡は、
三流の幡(みながれのはた)と呼ばれ、
岩側より、伊弉冉尊の黄泉の穢れを
はらった際に生まれた三神、
天照大神(あまてらすおおみかみ、太陽神)、
月読尊(つくよみのみこと、月神)、
素戔嗚尊(すさのおのみこと、暗黒神)
を表しています。
この3つの縄幡は、朝廷より毎年奉献されていた
「錦の幡」が運ばれるとき、
舟が熊野川の増水により転覆したため、
変わり「縄の幡」が
作られたものであるといわれています。
綱は掛け替えることなく
自然に切れるまで残されるため、
新たな綱と2本見られることもあり、
縁起がよいものとされています。
<お白洲引き>
10月2日(秋季大祭)。
【所在地】
〒519-4325 三重県熊野市有馬町130
【トイレ】
上記の写真の場所の斜め向かいにあります。
道の駅の駐車場わきにもあります。
【駐車場】
無料の駐車場が二か所あります。
(1)
道の駅「熊野 花の窟」と一体になっています。
土日祝日は混雑します。
(2)
ご神体である巨岩の反対側にもあります。
滞在所要時間:20分~
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