【薬師寺】
薬師寺(やくしじ)は、
奈良県奈良市西ノ京町にある
法相宗の大本山の寺院です。
南都七大寺の1つ。
開基は天武天皇で、ご本尊は薬師如来です。
1998年(平成10年)に
「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、
ユネスコより世界遺産に登録されています。
【歴史】
薬師寺は天武天皇9年(680年)、
天武天皇の発願により、
飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿〈きどの〉町)
の地に造営が開始され、
平城遷都後の8世紀初めに
現在地の西ノ京に移転したものです。
ただし、飛鳥の薬師寺(本薬師寺)の伽藍も
10世紀頃までは引き続き
存続していたと見られています。
【創建】
「日本書紀」
天武天皇9年(680年)11月12日条には、
天武天皇が後の持統天皇である
鵜野讃良(うののさらら)皇后の
病気平癒を祈願して
薬師寺の建立を発願し、
百僧を得度(出家)させたとあります。
薬師寺東塔の屋上にある
相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」
(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)
にも同趣旨の記述があります。
けれども、天武天皇は寺の完成を見ずに
朱鳥元年(686年)に没し、
伽藍整備は持統天皇、
文武天皇の代に引き継がれたのでした。
「東塔檫銘」には、
「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の
即位八年、庚辰の歳、
中宮(後の持統天皇)の病気のため、
この伽藍を創り始めたが、
完成しないうちに崩御したので、
その意志を継いで、
太上天皇(持統)が完成したものである」
という意味のことが記されているとのことです。
ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、
「書紀」の「天武天皇9年」
と同じ年を指しているとのことです。
「書紀」は天智天皇の没した
翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を
天武天皇元年としていますが、
天武天皇が正式に即位したのは
その翌年(西暦673年にあたる)であり、
「天皇即位八年」とは
即位の年から数えて8年目という意味となります。
【本薬師寺】
持統天皇2年(688年)、
薬師寺にて無遮大会(かぎりなきおがみ
という行事が行われたことが「書紀」に見えます。
この頃までにはある程度伽藍が
整っていたものと見られています。
「続日本紀」によりますと、
文武天皇2年(698年)には
寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせています。
この創建薬師寺は、
藤原京の右京八条三坊の地にありました。
大和三山の畝傍山と香久山の
中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、
「本薬師寺(もとやくしじ)跡」
として特別史跡に指定されています。
【平城京への移転】
その後、和銅3年(710年)の
平城京への遷都に際して、
薬師寺は飛鳥から
平城京の六条大路に面した
右京六条二坊(現在地)に移転しました。
移転の時期は長和4年(1015年)成立の
「薬師寺縁起」によりますと
養老2年(718年)のことであったとのことです。
ただし、平城薬師寺境内からは
霊亀2年(716年)の記載のある木簡が
出土していることから、
造営は養老2年よりも若干早くから
始まっていたとされています。
「扶桑略記」天平2年(730年)3月29日条に、
「始薬師寺東塔立」とあり、
東塔(三重塔)が完成したのがその年のことで、
その頃まで造営が続いていたものと見られています。
【本薬師寺の存続と廃寺】
なお、平城京への移転後も、
飛鳥の薬師寺(本薬師寺)は
しばらく存続していました。
史料や発掘調査の結果からは
平安時代中期の10世紀ころまで
は存続していたとのことです。
その後は廃寺となった模様です。
本薬師寺跡には金堂・東塔の礎石、
西塔の心礎が残っています。
本薬師寺の伽藍配置は
「薬師寺式伽藍配置」と称されるもので、
中央に金堂、その手前に中門、
背後に講堂を配し、
金堂の手前東西に塔を置きます。
そして、中門左右から出た回廊が
講堂の左右に達し、金堂、東西両塔は
回廊で囲まれています。
この伽藍配置は平城薬師寺においても
踏襲されています。
本薬師寺、平城薬師寺双方の
発掘調査により、両伽藍の建物の規模、
位置関係などはほぼ等しく、
本薬師寺の伽藍を
平城薬師寺に再現しようとした
ものであることが判明しています。
ただし、平城薬師寺では
中門の規模が拡大され、
回廊も幅が広げられているとのことです。
【天禄4年(973年)の火災】
平城京の薬師寺は
天禄4年(973年)の火災によって
金堂、東塔、西塔を残し、
講堂、僧坊、南大門など
多くの建物が焼失しました。
発掘調査によって、
西僧坊の跡地からは
僧たちが使用していたとみられる
奈良時代や唐時代の
陶磁器が多数出土しており、
天禄4年の火災の際に
棚から落ちて土中に埋もれたものとみられています。
【戦国時代の全山焼失】
戦国時代の享禄元年(1528年)9月7日には、
興福寺の衆徒・筒井順興による兵火で
東塔や東院堂を残し全山焼失しました。
現在、奈良時代の建物は
東塔を残すのみとなっています。
【江戸時代前後の再建】
金堂は、慶長5年(1600年)に
郡山城主の増田長盛によって再建され、
大講堂は嘉永5年(1852年)に再建されました。
しかしながら、往時の大伽藍とは
比ぶべくもなかったのでした。
【白鳳伽藍の再建】
昭和42年(1967年)、
名物副住職として知られた
高田好胤(たかだこういん)が管主に就任すると、
翌年の昭和43年(1968年)から
百万巻お写経勧進による
白鳳伽藍復興事業が開始されました。
これにより、昭和51年(1976年)に
金堂が再建されたのを始め、
昭和56年(1981年に西塔、
昭和59年(1984年)に中門、
1995年(平成7年)に東西回廊の一部、
2003年(平成15年)大講堂などが
次々と再建されたのでした。
2017年(平成29)には
僧の食事に使われた食堂(じきどう)が再建され、
復興事業はほぼ最終段階を迎えました。
2017年(平成29年)5月24日に
龍谷大学と、こうした文化財の
保護・活動のほか、
仏教についての研究・教育、僧の
人材育成などで連携する協定を結んでいるとのことです。
【金堂】
昭和51年(1976年)再建。
奈良時代仏教彫刻の
最高傑作の1つとされる
ご本尊・薬師三尊像(国宝)を祀っています。
上層は写経が納められた納経蔵となっています。
再建にあたっては、
「鉄は持って数百年程度、
木材(ヒノキ)は千年持つ。
鉄を使うとその部分から腐食する」
と主張する宮大工で
文化財保存技術者の西岡常一氏と、
「台風や地震、火災からの文化財保護の
観点からも鉄筋コンクリート補強が
望ましい」と主張する
名古屋工業大学教授竹島卓一氏の
意見が衝突しましたが、
結果として、金堂の内陣のみは
鉄筋コンクリートで造られることとなりました。
なお、慶長5年(1600年)に
増田長盛によって再建された
入母屋造の以前の金堂は、
昭和50年(1975年)に
興福寺に仮金堂(現・仮講堂)
として移築されました。
その際、寄棟造に改造されて
向拝を撤去しています。
【東塔】
国宝。
現在寺に残る建築のうち、
奈良時代(天平年間)にさかのぼる
唯一の建物です。
総高34.1m(相輪含む)。
日本に現存する
江戸時代以前に作られた仏塔としては、
東寺五重塔、興福寺五重塔、
醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇ります。
屋根の出が6か所にあり、
一見六重の塔に見えますが、
下から1・3・5番目の屋根は裳
階(もこし)であり、
構造的には三重の塔となります。
仏塔建築としては他に
類例のない意匠を示しています。
塔の先端部の相輪にある
青銅製の水煙(すいえん)には
飛天像が透かし彫りされており、
奈良時代の高い工芸技術を
現代に伝えている貴重な建物です。
【西塔】
昭和56年(1981年)再建。
東塔と対称的な位置に建つ三重塔です。
旧塔は享禄元年(1528年)に
戦火で焼失しています。
この塔はかつての伝統様式・技法によって
再建された建物となります。
デザインは東塔と似ていますが、
東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、
西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの
違いも見られます。
東塔も元々は連子窓でありましたが
修復で白壁にされたとのことです。
再建に際しては、
西塔は鉄の使用を極力少なくし
木材の乾燥収縮を考慮して
東塔より約30センチ高くして
再建されているとのことです。
500年後には西塔も東塔と同じように
材木の撓みと基礎の沈下が起きて
同じ高さに落ち着く計算とのことです。
【大講堂】
2003年(平成15)3月21日再建。
正面41m、奥行20m、高さ17m、
伽藍最大の建造物となります。
以前の大講堂は
享禄元年(1528年)に戦火で焼失後、
嘉永5年(1852年)に
再建されたものでしたが、
今回の再建にあたって解体されています。
ご本尊の銅造三尊像(重要文化財)は、
中尊の像高約267センチの大作ですが、
制作時期、当初はどこにあった像であるか
などについて謎の多い像です。
大講堂に安置される直前には
西院弥勒堂で弥勒三尊像として
祀られていました。
大講堂に安置後は金堂本尊と同様に
「薬師三尊像」としていましたが、
今回の大講堂の再建後に
弥勒三尊像に復しています。
堂内には仏足石(国宝)や
仏足跡歌碑(国宝)も安置されています。
【食堂】
2017年(平成29年)再建。
本尊「阿弥陀三尊浄土図」を祀っています。
【東僧坊】
【西僧坊】
【鐘楼】
【中門】
昭和59年(1984年)再建。
【東回廊】
【西回廊】
【東院堂】
(国宝)
鎌倉時代の弘安8年(1285年)再建。
境内の東側、回廊の外に建っています。
元明上皇の冥福を祈るために
娘の吉備内親王が
養老年間(717年⇒724年)
に建立した東禅院が前身となります。
当初は南向きでしたが、
享保18年(1733年)
に西向きに建て変えられました。
堂内の厨子にご本尊・聖観音立像(国宝)が
安置されています。
【龍王社】
【勧進所】
【休ヶ岡八幡宮若宮社】
(重要文化財)
鎌倉時代末期築。
【弁財天社】
【平木大明神社】
【不動堂】
【與樂門】
【唐院】
北受付となっています。
【聚寶館】
【大宝蔵殿】
【南門】
(重要文化財)
室町時代の永正9年(1512年)建立。
境内南正面にある小規模な四脚門です。
元は薬師寺西院の門でしたが、
後に現在地である南大門の跡地に移築されました。
【玄奘三蔵院伽藍】
主要伽藍の北側にあり、
1991年(平成3年)に建てられました。
【玄奘塔】
玄奘三蔵坐像と玄奘の頭部の遺骨である
ご頂骨・真身舎利を祀る裳階付き八角円堂です。
このご頂骨は、太平洋戦争中の
昭和17年(1942年)12月23日に
中華民国の首都・南京で
日本陸軍が土木作業中に偶然、
かつて破壊された玄奘の墓を発見したことにより、
中華民国と協議して昭和19年(1944年)に
その遺骨の一部を日本仏教会に
分けてもらったものです。
戦後、さらに蒋介石からも
その持ち出しの許諾を得らえています。
その後、ご頂骨は
埼玉県さいたま市岩槻区の
慈恩寺に祀られていましたが、
昭和56年(1981年)に
薬師寺に分骨されました。
【南境内地】
孫太郎稲荷神社
平安時代中期に藤原頼行によって
下野国佐野(現・栃木県佐野市)
の唐沢山に祠が建てられ、
その子孫である
佐野孫太郎義綱によって守られた神が、
後に姫路城下に分霊され、
江戸時代の初期に現在地に移されたということです。
【文化財】
【薬師三尊像】
金堂に安置される薬師寺のご本尊。
国宝。
飛鳥時代後期(白鳳期)~
奈良時代(7~8世紀)の作。
国宝指定名称は「銅造薬師如来及両脇侍像 3躯」。
中尊は薬師如来、
左脇侍(向かって右)に
日光菩薩(にっこうぼさつ)、
右脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)を配しています。
像高は薬師如来254.7cm、
日光菩薩317.3cm、
月光菩薩315.3cm。
日本の仏像彫刻が、
中国・六朝や唐の影響を受けつつ、
独自の古典様式を完成した
7~8世紀の作品のなかでも
最高傑作の1つとして
古来名高いものとなっています。
<薬師如来像>
※パネルを撮影。実物は撮影禁止です。
【聖観音立像】
東院堂本尊。国宝。
国宝指定名称は「銅造観音菩薩立像」。
像高188.9cm。
飛鳥時代後期(白鳳期)または
奈良時代(7~8世紀)。
蓮華座上に直立する菩薩像で、
右腕は体側に垂下し、左腕は曲げ、
手は肩の辺まで上げて掌を正面に向けています。
蝋型鋳造による銅像で、
右手先や天衣遊離部などを別鋳としています。
【木造僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像(八幡三神像)】
国宝。
平安時代初期の作。
いずれも像高30数センチの小品で、
薬師寺の鎮守・休ヶ岡八幡宮の神体として
作られたものです。
薬師寺の三神像は日本の神像としては
現存最古作の1つです。
奈良国立博物館に寄託されています。
【麻布著色吉祥天像】
国宝。
「金光明最勝王経」所説に基づき、
吉祥悔過会(きちじょうけかえ)の本尊として
制作されたもので、
数少ない奈良時代の絵画遺品として
貴重なものです。
頭部の背後に光背(後光)が
あることからこれが
仏画であることがわかりますが、
一見すると奈良時代の
美人画のように見えます。
風になびく着衣の繊細さが
よく表現されています。
春・秋などに期日を限って、
寺内の大宝蔵殿で公開されます。
【絹本著色慈恩大師像】
国宝。
中国法相宗の祖の肖像で11世紀の作。
【仏足石】
国宝。
大講堂内にあります。
礼拝対象としての
仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石です。
側面に長文の銘があり、
黄書本実(きぶみのほんじつ)が
唐で写し持ち帰った仏足跡を
文室真人智努
(ぶんやのまひとちぬ)が
夫人の追善のために写させたもので、
天平勝宝5年(753年)の作と知られています。
【仏足跡歌碑】
国宝。
大講堂内にあり、
仏足石とともに伝来したものですが、
元来一具のものであるか
どうかは定かではないとのことです。
高さ194cmの石碑に
仏足跡を称える歌など
21首の歌を万葉仮名で刻んであります。
ここに刻まれた歌はいずれも
通常の和歌より1句多い
「五・七・五・七・七・七」の歌体になり、
これを「仏足跡歌体」と称するとのことです。
【重要文化財】
<南門>
<休岡八幡神社(休ヶ岡八幡宮)>
社殿 3棟
<本殿>
<南北脇殿>
(重要文化財指定名称は東西脇殿)
<休岡若宮社社殿>
<板絵著色神像>
6面 永仁三年三月尭儼筆
休岡八幡神社に祀られていたもの。
<銅造如来及両脇侍像>
(大講堂安置)
※重要文化財指定名称は「銅造薬師如来両脇士像」
寺では2003年(平成15年)より
本像の呼称を「薬師三尊」から
「弥勒三尊」に変更しています。
<木造十一面観音立像>
(1897年指定、像高165.5cm)
(奈良国立博物館に寄託)
<木造十一面観音立像>
(1902年指定、像高191.5cm)
(奈良国立博物館に寄託)
<木造十一面観音立像>
(1921年指定、像高180.3cm)
(東京国立博物館に寄託)
<木造地蔵菩薩立像>
(大阪市立美術館に寄託)
<木造地蔵菩薩立像>
善円作(東京国立博物館に寄託)
附:願文 延応二年四月、木造大仏師善円、
彩色仏師円慶等の記があります(1240年)
<木造伝大津皇子坐像>
(奈良国立博物館に寄託)
<木造四天王立像>
院賢作(所在東院堂)
<木造四天王立像3躯>
(附:腕1箇)
<木造文殊菩薩坐像>
(奈良国立博物館に寄託)
<木造弥勒菩薩坐像>
(奈良国立博物館に寄託)
<木造吉祥天立像>
(大阪市立美術館に寄託)
<塔本釈迦八相像残欠>
◆東塔塑像心木 160箇
(附:塑像断片一括、木像残欠25箇
◆西塔塑像断片
52箇(附:土塔1箇、和同開珎残片2箇分、硬玉丸玉1箇)
<木造光背残欠>
<木造狛犬(獅子)>
一対
<銅鐘(梵鐘)>
室町時代の戦火で入ったとされる
亀裂があり「西ノ京破れ鐘(われがね)」と呼ばれています。
<大般若経>
33巻
<増壱阿含経>
巻第五十 天平宝字三年科野虫麿書写奥書
<大般涅槃経>
巻第十六 – 敦煌経、北魏時代。
<黒草紙>
1冊(附:黒草紙(宝暦三年書写本)1冊)
<薬師寺枡>
3口
◆一升枡 天文十五年正月日 金堂、金伏等刻銘(1546年)
◆一升枡 天正二年六月吉日 十合等刻銘(1574年)
◆一升枡 天正六年 反銭升写等刻銘(1578年)
典拠:
2000年までの指定物件については
「国宝・重要文化財大全 別巻」
(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)
(毎日新聞社、2000)より。
【国の史跡】
<薬師寺旧境内>
【奈良県指定有形文化財】
<木造地蔵菩薩立像>
<絹本著色薬師十二神将像>
1体(奈良国立博物館に寄託)
【奈良市指定有形文化財】
<木造毘沙門天立像>
附:納入経2巻(奈良国立博物館に寄託)
<絹本著色釈迦十六善神像>
(奈良国立博物館に寄託)
<絹本著色二河白道図>
(奈良国立博物館に寄託)
<旧福寿院障壁画>
長沢芦雪筆 29面(奈良国立博物館に寄託)
<古磵関係資料>
4巻、29幅、8面、1隻
附:古磵位牌 1基
(4巻・8面は奈良国立博物館に寄託)
【前後の札所】
<西国薬師四十九霊場>
1:薬師寺
2:霊山寺
<大和北部八十八ヶ所霊場>
48:融念寺
49:薬師寺
50:法隆寺北室院
<南都七大寺>
5:西大寺
6:薬師寺
7:法隆寺
<神仏霊場巡拝の道>
24:唐招提寺
25:薬師寺
26:法隆寺
【拝観時間】
午前8時30分~午後5時
(受付は午後4時30分まで)
【拝観料】
<拝観可能場所>
金堂、大講堂、東院堂
大人:800円
中高生:500円
小学生:200円
お正月(1/1~1/8)、
春期(3/1~6/30)、
GW(4/29~5/8)、
お盆(8/13~8/15)、
秋期(9/16~11/30)の期間
<拝観可能場所>
金堂、大講堂、東院堂、
玄奘三蔵院伽藍、西塔初層東面開扉
大人:1100円
中高生:700円
小学生:300円
【共通拝観券】
対象期間:
お正月(1/1~1/8)、
春期(3/1~6/30)、
GW(4/29~5/8)、
お盆(8/13~8/15)、
秋期(9/16~11/30)
<拝観可能場所>
金堂、大講堂、東院堂、玄奘三蔵院伽藍、
西塔初層東面開扉(春・秋のみ)、
東塔初層開扉(GW期間のみ)、
食堂、西僧坊
大人:1600円
中高生:1200円
小学生:300円(※大人同伴)
【所在地】
〒630-8563奈良県奈良市西ノ京町457
【電話】
0742-33-6001
【FAX】
0742-33-6004
【交通アクセス】
(電車・バス)
◆近鉄橿原線「西ノ京」駅下車すぐ
近鉄なんばから快速急行または特急で
大和西大寺で乗り換え。
各駅停車天理行きまたは
橿原神宮前行きに乗車し「西ノ京」駅へ。
◆近鉄京都からは
特急・急行が西ノ京駅に停車します。
(時間枠あり要確認)
◆JR「奈良」駅より
六条山行バス20分位で「薬師寺」下車すぐ
(車)
西名阪郡山インターからの場合
R24を北上⇒JRの陸橋を越えて柏木町の交差点あり⇒
左折突当りの信号左折⇒約200m左側に
西の京病院とガソリンスタンド(エッソ)あり⇒
その信号を右折すると薬師寺の駐車場となるとのことです。
【ご注意】
カーナビ利用の場合:
南駐車場ではなく、
薬師寺南門前に
誘導される事がありますのでご注意下さい。
【駐車場】
100台
・大型バス:2200円
・マイクロバス:2000円
・普通車:500円
・二輪車:100円
※お寺の駐車場が端にあるため、
遠い、と感じられる方は
近鉄の線路を挟んだ向かい側に
コインパーキングがあります。
踏切を渡れば
程なく、薬師寺の南門に到着します。
所要時間:1時間~
飛鳥京跡~複数の都市遺跡であり大化の改新で中大兄皇子や中臣鎌足らが 蘇我入鹿を討ち果たした場所。
石舞台古墳~国内最大級の方墳で埋葬者は蘇我馬子だと有力視されています。
飛鳥寺と蘇我入鹿の首塚~飛鳥寺の開基は蘇我馬子で日本最古のお寺です。
高松塚古墳~築造年代は終末期古墳で飛鳥美人に代表される極彩色の壁画が有名です。
キトラ古墳~国の特別史跡で壁画は国宝となっており、天井には東アジア最古の天文図が描かれています。
亀石~亀ですが蛙や上下逆さま説もある明日香村観光のシンボル的な石造物です。
藤ノ木古墳~国の史跡、盗難にあわず大切に守られてきた円墳で被葬者は2人の男性です。
氷室神社と氷室城跡(奈良市)~氷室を祀る古社の氷室神社は氷みくじが大人気で、戦国期は氷室城の伝承有り。
東大寺に行ってきました!~朝がおススメです!午前7時30分より
法起寺~前身は岡本宮で境内が国の史跡で日本最古の三重塔があり、世界遺産に登録されている寺院です。
唐招提寺~鑑真開基の世界遺産の寺院~静かにゆっくりと過ごせます。
安倍文殊院~安倍一族の氏寺として大化元年に創建、日本三文殊に数えられています。