【三保の松原】
三保松原(みほのまつばら)は、
静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地です。
日本新三景(大沼、三保の松原、耶馬溪)、
日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)
のひとつとされ、国の名勝に指定されています。
また、ユネスコの世界文化遺産
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」
の構成資産に登録されています。
<三保松原への入り口>
更に、2020年(令和2年)6月19日には、
文化庁の「日本遺産」のストーリー
『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、
駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く
東海道旅のガイドブック(道中記)~』
の構成文化財の1つに認定されたとのことです。
<表記のゆれ>
なお、「三保松原」は「三保の松原」とも表記され、
表記にゆれが存在しています。
【地形と景色】
三保半島の東側に広がる平安時代から親しまれています。
総延長7キロメートル、
5万4000本の松林が生い茂る海浜と、
駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名です。
その眺めは、
歌川広重の『六十余州名所図会』「駿河 三保の松原」
を始めとする浮世絵にも描かれています。
また、日本最古の和歌集である『万葉集』には、
廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信
(廬原いほはらの 清見の崎の 三保の浦の ゆたけき見つつ 物思ひもなし)
— 田口益人、『万葉集』巻3ー296
と詠まれて以降、多くの和歌の題材となっています。
更に能や歌舞伎の「羽衣」の舞台にもなっています。
【三保半島の形成】
三保半島は、安倍川から海へと流された土砂が
太平洋の荒波に運ばれ、
日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴(さし)です。
何百年にわたり流された土砂(漂砂)が静岡海岸や
清水海岸に100メートルを超える幅の砂浜を作り、
現在の清水港を囲む三保半島、
および三保の松原の砂浜を形成したとされています。
【羽衣伝説の舞台の地】
羽衣伝説の舞台でもあります。
浜には天女が舞い降りて
羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があります(現在は三代目)。
付近の御穂神社(みほじんじゃ)には
羽衣の切れ端といわれるものが保存されているそうです。
毎年元日の朝には大勢の人々が羽衣の松に集まり、
伊豆半島の山々から昇る初日の出を拝んでいるとのことです。
【羽衣の松(三代目)】
羽衣の松は御穂神社の神体で、
ご祭神の三穂津彦命(大国主命)
三穂津姫命が降臨する際の依り代とされています。
初代「羽衣の松」は
宝永4年(1707年)の宝永大噴火の際に
海に沈んだと伝えられています。
二代目「羽衣の松」は高さ約10メートル、
外周5メートル、樹齢650年のクロマツでした。
立ち枯れが進んだため、2010年10月に
近くにある別の松を
三代目の「羽衣の松」に認定して世代交代したのでした。
2013年7月3日に先代の「二代目羽衣の松」は
約3メートルの幹を残して伐採されたのでした。
【羽車神社(はぐるまじんじゃ)】
羽衣の松(二代目)の隣に鎮座する神社です。
御穂神社の離宮とのことです。
【フランスの舞踏家と羽衣】
<エレーヌの碑>
フランスのダンサーであった
エレーヌ・ジュグラリスは
さらなる舞踊を求めて
日本の「能」を研究する中で「羽衣伝説」を知りました。
そしてこれを題材にした作品「羽衣」を発表しました。
彼女は来日して伝説の舞台となった
三保の松原を訪れることも希望していたのですが、
病気により叶うことなく35歳の若さで亡くなります。
臨終の際には夫に
「せめて髪と衣装だけは三保の松原に」と遺言を残しました。
そして夫は彼女の衣装と遺髪を持って来日しました。
この秘話に共感した地域住民により、
昭和27年(1952年)に
エレーヌの功績を称え
「エレーヌの碑(羽衣の碑)」が完成します。
その碑の袂には彼女の遺髪が納められているのです。
【羽衣伝説】
昔々、三保の村に伯梁という漁師が住んでいました。
ある日、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めていました。
すると、一本の松の枝に
見たこともないそれはそれは
美しい衣がかかっていることに気が付きました。
けれどもあたりに人影はありません。
誰かの忘れ物かな?、
伯梁が衣を持ち帰ろうとした時、
どこからともなく女性があらわれてこう言いました。
「それは天人の羽衣です。どうかお返しください」
けれどもそれを聞いた梁はますます大喜びしました。
「これは国の宝にしよう」
と言って返そうとはしません。
すると天人である女性は
「それがないと私は天に帰ることができないのです」
とそう言って泣き始めたのでした。
・・・さすがに伯梁も気まずくなり天女を哀れに思い、こう言いました。
「天上の舞いを見せてくれたら返します」
すると天女は喜んで三保の浦の春景色の中、
霓裳羽衣(げいしょううい)の曲を奏し、
返してもらった羽衣を身にまとって、
月世界の舞いを披露したのでした。
そして、ひとしきりの舞いのあと、
天女は空高く、やがて天にのぼっていったのでした。
なお、このときの羽衣の切れ端といわれるものが、
近くの御穂神社(みほじんじゃ)に保存されているということです。
(参考:清水海岸ポータルサイトより)
<霓裳羽衣(げいしょううい)>
薄絹などで作った、女性の美しくて軽やかな衣装のことです。
また、舞曲の名。
元々は西域から伝来したものということです。
「霓裳」は虹にじのように美しいもすそ(スカート)の意味もあります。
「霓」は虹。「羽衣」は鳥の羽で作った軽い衣。天(あま)のはごろも。
(引用元:goo辞書より)
<駿府・近江・丹後にある羽衣伝説>
この羽衣伝説の題材に関しては、
羽衣伝説が記載される「風土記」
によるという説があるとされています。
中でも「駿河国風土記逸文」によるものが、
最も近いと言う見方が有力とされています。
また別の地域でも「風土記」の中に記述があるそうです。
滋賀県長浜市の余呉湖を舞台とした「近江国風土記」に、
京都府京丹後市峰山町を舞台とした「丹後国風土記」に
それぞれ見られるとのことです。
伝説の結末も若干の差があり、
天女は漁師と夫婦になったり、
老夫婦の子どもになったり、
しばらく地上に留まっていて、
すぐに衣を返したりはしておらず、
天女の舞を舞う事もなかったりします。
【みほしるべ(静岡市三保松原文化創造センター】
三保の松原の玄関口施設として
2019年3月30日に開館しました。
2階建ての建屋で、
一階には展示室・観光館内・ミュージアムショップ・映像シアターなど。
トイレは1階・2階共にあり、1階には授乳室もあります。
コインロッカーもあります。
<住所>
〒424-0901 静岡市清水区三保
<電話番号>
054-340-2100
<利用料>
大人:無料
子供:無料
<営業及び利用時間>
午前9時~午後4時30分
<定休日>
無休
<駐車場>
普通車:173台
<交通アクセス>
<公共交通機関>
JR「静岡」駅から東海道線でJR「清水」駅下車、
JR「清水」駅から
バス三保山の手線で約25分「三保松原入口下車」徒歩約20分
<車>
東名高速道路「清水IC」から約25分、
東名高速道路「日本平久能山スマートIC」から約25分
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