温泉津温泉(ゆのつおんせん)~世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」

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【温泉津温泉】
温泉津温泉(ゆのつおんせん)は、
島根県大田市温泉津町
(旧国石見国)にある温泉です。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
また港町でもある当地は
「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として
世界遺産に登録されています。

<温泉津温泉街>
温泉津温泉街

【泉質】
含土類食塩泉
<源泉温度>
元湯:49.9℃ 
薬師湯:45.9℃ 
湧出時は透明ですが湯船では淡茶褐色です。
入浴のほかに飲泉も効果があり、
味はやや苦渋いとのことです。
古くからその効能の高さが知られています。
1957年には、
九州大学温泉治療学研究所
(現・生体防御医学研究所別府地区)
によって、原爆症に対する効能が報告されています。

【温泉街】
温泉津港から山側に伸びる温泉街は、
賑やかな歓楽街などが見られず、
ひなびた日本旅館が両側に立地する静かな街並みです。
この古風な温泉街は2004年(平成16年)7月、
「温泉津町温泉津伝統的建造物群保存地区」
の名称で国の
重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
これは温泉街としては初めての選定であるそうです。
港町としての選定でしたが、
後に温泉町という項目も設けられました。

<温泉津温泉の町並み>
温泉津温泉の町並み

また、温泉津は、当時中世〜近代に隆盛を誇った
石見銀の輸出港でもありました。
そのため、同港町は
日本国内14例目の世界遺産
「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を受けました。

<温泉津温泉の港付近>
温泉津温泉の港付近

<内藤家庄屋屋敷>
内藤家は毛利水軍の御三家の一家でした。
当初は安芸国(現在の広島県西部)を本拠地としていました。
そののち、毛利元就の命でこの地に配されました。
江戸時代に入ると、
廻船問屋や酒造業を手懸ける豪商となりました。
現在の建物は延享4年(1747)の温泉津大火直後に
再建された貴重な建物です。
温泉津温泉で現存する最も古い建物です。
現在、見学は外観のみとなります。
内藤家庄屋屋敷

【共同浴場】
共同浴場は「元湯泉薬湯」と
「薬師湯」の2軒の湯元が存在しています。
両浴場はごく近接した位置で
湧出する別々の泉源を用いており、
泉質には相違があります。



【オール5評価の薬師湯】
薬師湯は2005年9月付けで、
日本温泉協会の新基準による
審査の結果、
全項目「オール5」の
最高評価の天然温泉として認定されています。

<薬師湯>
温泉津温泉 薬師湯

【歴史が古い元湯】
元湯泉薬湯は開湯時の
1300年前からの源泉を利用しており、
他の旅館等へ分湯する程の湯量がなく、
引湯道を隔てて向かい合う
古風な3階建て木造旅館は元湯の直営です。
しかしながら館内に内湯は無く、
共同浴場に通うという、
昔ながらの湯治場のスタイルを維持しています。

<元湯>
温泉津温泉・元湯

<温泉津温泉・元湯の駐車場>
元湯の道路を隔てた建屋の向かい側にあります。
温泉津温泉・元湯の駐車場

<温泉津温泉・元湯のトイレ>
元湯の駐車場内の後方にあります。
温泉津温泉・元湯のトイレ

<温泉街入り口の駐車場>
海に沿ってあり、無料です。

<温泉津温泉・航空写真>
海に面したほぼ中央の囲い部分が無料の駐車場です。
温泉津温泉・航空写真

【開湯は1300年前】
開湯は古く1300年前と伝えられています。
伝説では大狸が入浴しているところを
発見したものとされています。
戦国時代や江戸時代は
石見銀山から産出される
銀の積出港にもなったことから大いに栄えました。
また、山陰道(山陰街道)の宿場町でもありました。

<元湯の裏にある薬師堂>
温泉津温泉 薬師堂

【明治時代に薬師湯が湧出】
明治5年(1872年)に発生した
浜田地震により別の源泉が湧出をはじめました。
薬師湯は地震によって湧出したことから
「震湯」の別名があります。
また従前は「藤乃湯」でしたが、
その薬効豊かな湯質と
温泉の守りとして
薬師如来をまつっている事などから、
「薬師湯」となりました。

【男はつらいよ】
1974年公開の松竹映画
「 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ 」
(第13話、吉永小百合)の舞台となりました。

【交通アクセス】
山陰本線温泉津駅からバス5分、温泉前下車
浜田道大朝ICより車で60分

【所在地】
699-2501 島根県大田市温泉津町温泉津

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