【遠野(とおの)】
遠野市(とおのし)は、岩手県内陸部にある都市です。
柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町であり、
河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わっています。
<位置と地形>
岩手県南東部の内陸に位置。
市のほぼ全域が、北上川の支流である猿ヶ石川の最上流域にあたり、
中央部は北上山地最大の盆地である遠野盆地となっています。
また、岩手県で2番目に高い山である早池峰山の一部も市域にあります。
<気候>
北上高地に位置しており、
冬季の放射冷却が起きると-20℃近くまで下がることもあります。
また、太平洋側気候ですが、
豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されています。
従って3月までは冬の格好が必要となります。
最高気温極値 36.5℃(2007年8月14日)
最低気温極値 ー22.5℃(1978年2月15日)
<1~3月>
気温が-10℃以下になることもあります。
帽子や手袋、マフラー、耳あてなどが必要です。
雪が30センチ近くも積もっていますので、
長靴もしくは滑り止めの付いた暖かい靴がオススメです。
車はスタッドレスタイヤ、チェーンが必要です。
(平均気温)
1月:-1.6℃
2月:-1.0℃
3月:3.7℃
(平均積雪)
1月:13.2cm
2月:9.9cm
3月:2.1cm
<4月>
雪も溶け、春の到来です。朝晩は冷え込みますので、厚手の上着が必要です。
(平均気温)
4月:9.9℃
(平均積雪)
4月:0cm
<10月>
山々の紅葉で色づきます。朝晩は冷え込みますので、厚手の上着が必要です。
(平均気温)
10月:11.5℃
(平均積雪)
10月:0cm
<歴史>
城下町としての遠野
徳川家康に臣従し、盛岡藩を成立させた南部利直は領内の基盤整備に取りかかりました。
それまで遠野を領有していた阿曽沼氏や鱒沢氏を追放し、
根城南部氏の八戸直義を転封させて
仙台藩領と隣接する遠野の統治にあたらせました。
1627年(寛永4年)、
直義は遠野鍋倉城主として12500石を与えられました。
以後明治維新までの約240年間、
遠野は遠野南部氏の城下町として存続しました。
歴代当主は盛岡藩御三家の一つとして盛岡に常駐していたため、
実際の政務は鍋倉城代である重鎮の家老達により行われていました。
現在も穀町、大工町、材木町、六日町という地名に城下町の名残を見ることができます。
<曲り家>
遠野地方の古民家は「南部曲り家」と呼ばれるものがほとんどで、
現在では住居にしている家庭も少なくなっています。
「曲り家」とはL字型になっており、人が住む母屋と馬小屋がつながっている住居で、
馬はかけがえのない人間の友であり、同じ屋根の下で暮らしていました。
曲り家は昔の生活が垣間見れる、懐かしい空気、時間を肌で感じ取れる場所です。
遠野ふるさと村です⇓⇓
遠野ふるさと村とは?大河ドラマや映画など数々のロケ地です。白馬とポニーもいます!
【鍋倉城】
鍋倉城(なべくらじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。
別称 遠野城、横田城。遠野市指定史跡。
鍋倉山に本丸を築き、猿ヶ石川と早瀬川を外堀、来内川を内濠としました。
寛永4年(1627年)八戸直義が横田城を修理して鍋倉城と改め、
最高所を本丸としその南に二の丸、東に三の丸が配されました。
<歴史・沿革>
鎌倉時代初期より阿曽沼氏の本拠であった横田城は洪水の被害に遭いやすかったため、
天正年間のはじめの頃、阿曽沼広郷が横田村(松崎町)の横田城から鍋倉山に新城を築いて移り、
旧居城の名前を継承して横田城と称しました。
一日市町と多賀里にあった六日町を移転させて城下の町屋の中心にしたといわれております。
天正18年(1590年)、小田原不参によって阿曽沼氏は領主権を没収され南部氏配下となり、
天正20年(1592年)、「諸城破却令」には「横田 破 信直抱 代官 九戸 左馬助」とありましたが、
慶長5年(1600年)の阿曽沼一族内訌によって、
遠野は南部氏の領するところとなり、破却はまぬがれました。
阿曽沼氏の旧領の内、横田城代として内陸部を上野・平清水両氏を知行させ、
海岸地帯を大槌氏、
田瀬を江刺氏に分知させました。
城代の平清水氏は元和元年(1615年)刑死し、
ついで、上野氏が同7年に病死すると、
遠野奉行の毛馬内三左衛門を横田城代として赴任させましたが、
治安の乱れが続いたため、
南部利直は、寛永4年(1627年)、
治安維持と仙台領との境目警護を理由に、
八戸直義を八戸根城から横田城へ陸奥国代として
領内の独自の裁量権を認められて入部、
横田城を修復して鍋倉城と改め、当城を領内統治の拠点としました。
城下町は横田村地内に形成され、
通称「遠野城下」と呼ばれましたが、
一国一城令以降は城ではなく館の呼称が正式であり、
「要害屋敷 閉伊郡横田村 遠野」とされていました。
明治2年(1872年)に廃城となりました。
現在は、鍋倉公園として整備されています。
公園への車での通行は冬季は閉鎖となります。
閉鎖の期間は始まりは明記がありませんでしたが、
終わりは4月初旬まで閉鎖です。
なお、三の丸のトイレが12月中旬から4月初旬まで閉鎖です。
★桜やツツジの季節になると綺麗になるんだそうです。
また眺めがよく、遠野市内が一望できるそうです。
【遠野物語】
遠野物語』(とおのものがたり)とは、
柳田國男が明治43年(1910年)に発表した
岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集です。
遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり
小説家でもあった佐々木喜善(きぜん)より語られました。
遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記、編纂する形で出版され、
『後狩詞記』(1909年)
『石神問答』(1910年)とならぶ柳田国男の初期三部作の一作。
日本の民俗学の先駆けとも称される作品です。
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<遠野物語・概要>
遠野物語における遠野、あるいは遠野郷とは、
狭義には藩政時代の旧村が明治の町村制によって編制された
遠野、松崎、綾織、土淵、附馬牛、上郷、を指しますが、
広義には上閉伊郡宮守村、釜石市橋野町、上閉伊郡大槌町、
下閉伊郡川井村などの隣接地域も含まれ、
その地で起きたとされる出来事も取り上げられています。
内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから
山人、マヨヒガ、神隠し、臨死体験、
あるいは祀られる神とそれを奉る行事や風習に関するものなど多岐に渡っています。
『遠野物語』の反響により、昭和10年(1935年)には
各地から寄せられた拾遺299話を追加した『遠野物語増補版』が発表されました。
遠野物語の中で有名な話の一つに「オシラサマ」「ザシキワラシ」がありますね。
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