【大山阿夫利神社】
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、
神奈川県伊勢原市の大山
(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社です。
「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読みます。
「延喜式神名帳」に小社と記載された
相模国の延喜式内社十三社の内の一社です。
旧社格では県社に列しています。
現在は神社本庁の別表神社です。
【ご祭神】
本社:大山祇大神(オオヤマツミ)
山の神・水の神として、
また大山が航行する船の目印となった事から
産業・海運の神としても信仰されています。
別名、酒解神とも呼ばれており、
酒造の祖神としても信仰されています。
富士山の御祭神である
木花咲耶姫の父君であると共に
絆を取り持つ神と伝えられているとのことです。
摂社奥社:大雷神(オオイカツチ)
日本書紀に記されている雷の神様です。
古来より火災・盗難除けの神として信仰されています。
大山では大天狗とも称されいます。
前社:高龗神(タカオカミ)
高龗神とは、日本書紀に記されている水神様です。
「髙」は山を指し、
「龗」は龍を指す龍神と伝えられているそうです。
古来より祈雨・止雨の神として信仰されており、
大山では小天狗とも称されています。
※おかみの漢字は龗
最も、これらは明治になってから
神仏分離の際に祀られるようになったと
も言われています。
江戸期以前の神仏習合時代には、
本社には本来の祭神である
石尊大権現が祀られていました。
また、奥社に大天狗、
前社に小天狗が祀られていました。
<境内案内図>
大山は古くから山岳信仰として知られていました。
山頂からは祭祀に使われたとされる
縄文土器が発掘されています。
また大山は山上に
よく雲や霧が生じて
雨を降らすことが多いとされたことから、
「あめふり山」とも呼ばれ、
雨乞いの対象としても知られていました。
<頂上登山口 案内>
<入山お祓い所>
入山お祓い初穂料は100円です。
<大山 頂上登山口>
【独り言・・・】
縄文時代の遺跡である勝坂遺跡や
海老名にある有鹿神社からの
大山のお姿は本当に圧巻です。
大地を見護る偉大な存在であるような感じです。
ちなみに有鹿神社の奥宮は、
勝坂遺跡に沸いている泉なのです。
【歴史・由緒・文化】
大山阿夫利神社は、
社伝によると崇神天皇の御代に
創建されたとされています。
延喜式神名帳では「阿夫利神社」と記載され、
小社に列しています。
天平勝宝4年(西暦752年)、
良弁により神宮寺として
雨降山大山寺が建立され、
本尊として不動明王が祀られました。
以後、神仏習合が続きます。
中世以降は大山寺を拠点とする
修験道(大山修験)が盛んになり、
源頼朝を始め、北条氏・徳川氏など、
武家の崇敬を受けました。
鎌倉幕府の源頼朝公を始め、
徳川家等の代々の将軍は
大山阿夫利神社を信仰し、
そして武運長久を祈ったのでした。
また庶民からの崇敬も厚く、
人々は「講」という組織を作り挙って
大山へ参拝をしました。
隆盛を極めた江戸期には
年間で数十万が訪れたと記録にも残っています。
「大山詣り」と呼ばれた大山への参詣は
古典落語の中でも語られました。
更に著名な浮世絵師によって
多くの浮世絵も残されています。
それは、いかに大山が当時の人々にとって
身近な存在であったかを窺い知る資料ともいます。
<大山獅子>
また人気を博した大山詣りを背景に、
多くの独特な文化が生み出されました。
源頼朝公が刀を納めた事から
起こった木太刀を納める納太刀、
大山阿夫利の御祭神が
富士山の御祭神である
木花咲耶姫の父君に当たることから
「富士に登らば大山に登るべし、
大山に登らば富士に登るべし」と伝えられ、
大山と富士山の両山をお参りする
「両詣り」も盛んに行われたとのことです。
他にも一年の天候を占い
農作物の豊凶を占う筒粥神事、
天地の魔と穢れを祓う引目祭、
夏の山開き、
火祭薪能などの多種多様な神事が現在も行われ、
三百年以上の伝統を誇る大山固有の大山能、
そして巫女舞、倭舞も今に継承されているのです。
【大山講と両詣り】
江戸時代には大山に参詣する講(大山講)が
関東各地に組織され、多くの庶民が参詣したのでした。
大山詣は6月27日から7月17日までの期間に
行われる女人禁制の参詣で、
特に鳶や職人の間で人気があったのでした。
大山に2つある瀧・良辧瀧と大瀧で水垢離し、
頂上の石尊大権現に登り、
持ってきた木太刀を神前に納め、
改めて授けられた木太刀を護符として
持ち帰ったとのことです。
また、大山祇大神は、
富士山に鎮まるとされる
木花咲耶姫の父であるため、
大山と富士山の「両詣り」も盛んとなったのでした。
【立身出世】
なお、一部の地域には、大山に登ると
一人前として認められるという伝承があり、
大山の神霊が立身出世の神と
されていたことがうかがえます。
【明治時代の神仏分離令】
明治時代になると神仏分離令を機に
巻き起こった廃仏毀釈の大波に、
強い勢力を保持していた大山寺も一呑みにされました。
この時期に「石尊大権現・大山寺」の称は廃され、
旧来の「阿夫利神社」に改称されました。
明治6年(1873年)には県社に列格しています。
戦後、神社本庁には属さず、
昭和27年(1952年)8月より
阿夫利神社本庁として単独で運営されてきましたが、
近年、神社本庁の傘下に入りました。
阿夫利神社本庁も存続しています。
平成28年4月には「大山詣り」が日本遺産に認定をされました。
【祭事】
筒粥神事:天候を占う。
引目祭:厄を祓う。
山開き
火祭薪能
大山能
巫女舞
倭舞
【納太刀(おさめだち)】
源頼朝公は平家打倒のために挙兵するにあたり、
大山阿夫利神社に太刀を納めたと伝えられています。
この事柄は民衆にも広く知られるようになり、
人々は競って木刀を納めるようになったのでした。
最初期は小さいものがほとんどでしたが、
次第により立派な「粋」な太刀を納めたいとのことで、
大きさや造形に力を入れる人が増えていったのでした。
【大山詣りと江ノ島・金沢八景】
大山は古くから霊山として篤く信仰をされていました。
隆盛を極めた江戸期には
年間20万もの人々が来山したと記録されています。
当時、民衆の間では伊勢詣りを始め、
寺社に参拝することが大流行していました。
その中で、江戸の町から二、三日の距離にある
大山は気軽に参拝できることから、
絶好の行楽地としても愛されたのでした。
大山に参拝した後には
江の島は金沢八景などへ行楽する事が
人気の行程とされていました。
この様子は古典落語「大山詣り」の中にも表されています。
<下社から見える相模湾と江ノ島>
【大山能】
近世において、大山では
僧侶と山伏との間で争いが続いていました。
この事態を憂慮した時の徳川幕府は、
この地に観世流能楽者「貴志又七郎」を派遣し、
双方に能楽を習わせ
年に二回披露をさせたのでした。
すると、次第に争いは収まり
平和な御山になったとのことです。
以来、大山の住人によって
この伝統は守られてきました。
けれども戦後の混乱と後継者の不足によって
大山能は一時衰退をしてしまいました。
しかし、大山能を復活させたいとの声が
内外から多く上がり、現在では観世流宗家一門、
大蔵流狂言師山本東次郎氏の指導の下、
大山能楽社が組織され、
日々活動を行っているそうです。
また、10月には同じく観世流宗家観世清和氏、
山本東次郎氏のご協力の元、
大山火祭薪能が催されています。
【独り言2】
学生時代、能楽研究会に籍を置いていました。
夏合宿は大山で行っていました。
【大山講とお花講】
民衆は近所同士、あるいは職業同士で団体を作り、
「講」として寺社に参拝し、
現在でも多くの講社が現存しており、
主に夏の開山時期に参拝をされております。
その中でも、阿夫利神社三大講社の一つでもある
お花講は、夏山開きには登山道を開門するといった
役割を江戸時代から担っておるなど、
多くの風習も残されております。
【所在地】
〒259-1107 神奈川県伊勢原市大山355
【交通アクセス】
【電車】
小田急小田原線「伊勢原」駅⇒神奈中バス
伊勢原駅北口4番乗り場
「伊10大山ケーブル」行き
⇒「大山ケーブル」(終点)下車
<所要時間:25分~>
大山ケーブル<山麓駅>⇒阿夫利神社<山上駅>
⇒徒歩で阿夫利神社・下社
バス停から大山観光電鉄大山ケーブル駅までの間は
「こま参道」と言われる上り階段が続き、
その沿道には多数のお土産屋や茶店が並ぶ
観光地となっています。
大山の名水で作った名物の豆腐料理や
丹沢系のいのしし鍋が食せる料理さんも多くあります。
<こま街道>
【車】
新東名「伊勢原大山インター」⇒
一般道(10分)⇒市営第一駐車場
⇒大山ケーブル<山麓駅>⇒阿夫利神社<山上駅>
⇒徒歩で阿夫利神社・下社
【駐車場】
市営駐車場(1日):
<普通車>
第一駐車場:600円(下)
第二駐車場:1000円(上)
<こま街道に近いのですぐに満車になります>
大型車:1500円
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