【見付天神社】
矢奈比売神社(やなひめじんじゃ)は、
静岡県磐田市見付にある神社です。
式内小社で、旧社格は旧県社。
見付天神(みつけてんじん)の通称で知られています。
<主祭神>
矢奈比売大神
「神名帳考証」によりますと、
八野若日女命とされています。
<配祀>
菅原大神
火之迦具土神
表筒男神
中筒男神
底筒男神
<願かけ牛(雌)>
<願かけ牛(雄)>
<拝殿>
【歴史】
創建年代は不詳です。
文献上の初見は「続日本後紀」
承和7年(840年)6月に
従五位下の神階を授けるという記事であり、
貞観2年(860年)1月17日には
正五位上を授かっています。
「喜式神名帳」には小社に列しています。
<山神社>
正暦4年(993年)には、
太宰府天満宮より菅原大神を勧請したといい、
以後は「見付の天神様」「見付天神」
と呼ばれ崇敬されてきました。
慶長8年(1603年)には、
徳川家康より神領50石を寄進されています。
東海道五十三次の宿場町の一つである
見附宿の鎮守とされてきました。
<梅之湯御霊水之井戸>
<梅の湯祭り>
【霊犬悉平太郎伝説】
この伝説は、当社やその他各地で
語られているものではありますが、
その内容は類型的です。
また、悉平太郎(しっぺいたろう)の名は、
伝わる地方により異なり、
悉平太郎の出身地である光前寺
(所在地:〒399-4117 長野県駒ヶ根市赤穂29)
では早太郎(はやたろう)と呼ばれています。
見付の里では、毎年8月の初めになると、
どこからともなく飛んで来た「白羽の矢」が、
ある家の屋根に突き刺さっていました。
矢を立てられた家は年番といい、
年番はその家の娘を生きたまま柩に入れて、
8月10日の真夜中に見付天神へ供え、
供えられた娘は、生贄として地響きと共に
現れた怪神によって食い殺されるという
恐ろしいしきたりがあったのでした。
これを破ると田畑が荒れ里が
凶作に苦しむことになるため
里人は泣く泣くこのしきたりを守っていたのでした。
延慶元年(1308年)8月、
雲水と呼ばれる旅の僧が
見付の宿へ通りかかったところ、
この祭りに遭遇し、
楽しいはずの祭りなのに
里人が悲しい表情をしていることから、
話を伺い、この祭りの実態を知ったとされています。
見付の里の鎮守であるはずの神様が
そのような悪行をするはずがないと
訝った雲水が、祭りの夜に
その正体を確かめようと
神社に向かい身を潜めていると、
現れたのは神ではなく恐ろしい怪物でした。
そして「信濃の国の悉平太郎に知らせるな。
今宵今晩このことは、悉平太郎に知らせるな」
と言いながら柩ごと娘をさらって去っていきました。
雲水は怪物を打ち破るため、
怪物の恐れる悉平太郎を求めて
信濃国へ向かいましたが、
そのような名前の人物は見当たりません。
更に根気よく探していると、
それは伊那の光前寺で飼われている
犬であることが分かったのでした。
雲水は住職に事情を話し、
借受の許可をいただくと、
悉平太郎を連れて見付に戻りました。
<しっぺいおみくじ>
見付に戻った頃には
翌年の8月になっていました。
この年も年番の屋根に
白羽の矢が立っていました。
雲水は里人と相談し、
娘の代わりに悉平太郎を
柩に入れて供えたところ、
悉平太郎は現れた怪物と
一夜に渡って激しく戦い、
見事退治に成功しました。
怪物の正体は歳を経た
猿の妖怪「狒々」でした。
見付の里人は、
悉平太郎の立派な働きぶりに
心から感謝し、
大般若経六百巻を書き写して
光前寺へ奉納したのでした。
<霊犬悉平太郎銅像>
<霊犬悉平太郎の伝説>
一説では、重傷を負いこの地に倒れたので
人々は、見付天神横へ山神として
祀ったとのことです。
又、秋葉街道犬居、
阿多古大宮付近にて力尽きたという
説もあります。
駒ヶ根市の光前寺では
「霊犬早太郎の碑」があって、
無事帰山したものということです。
【霊犬神社】
境内からほど歩いた距離にある
つつじ公園にある霊犬神社では、
霊犬悉平太郎が祀られています。
磐田市のPRキャラクター
「しっぺい」は、
悉平太郎をモデルとしたものです。
悉平太郎の出身地である光前寺は
現在の長野県駒ヶ根市に位置し、
この話が縁となり、
昭和42年(1967年)1月12日から
磐田市と駒ヶ根市は友好都市関係となっています。
【電話】
0538-32-5298
【FAX】
0538-36-8117
【開門時間・閉門時間】
開門・閉門の時間はありません。
ご自由に参拝できるとのことです。
【社務時間】
<授与所受付時間>
午前8時30分~午後4時30分頃
<ご祈祷受付時間>
午前9時~午後3時30分頃
【所在地】
〒438-0086 静岡県磐田市見付1114−2
<キャンプの聖地しずおかへ>
ゆるキャン△。
<ゆるキャン△のモデル地めぐりの注意>
<映画ゆるキャン△>
※決して空腹時には鑑賞しないでください。
【交通アクセス】
(車)
東名「磐田」ICより約10分・
磐田バイパス「見付」ICより約5分。
※境内に無料駐車場あります。
※大型バスの駐車は第2駐車場をご利用ください。
(電車・バス)をご利用の場合
JR東海道線「磐田」駅より
2のりば遠鉄バス80系統乗車10分
「見付」バス停下車
(タクシー)
JR東海道線「磐田」駅より
タクシー乗車7~10分程度
現地所要時間:20分~
清龍寺(浜松)~徳川信康(松平信康)の墓所となる信康廟があります。
二俣城~水運に恵まれた街道上の要衝で武田VS徳川の激しい攻防の舞台となり、徳川信康が切腹を遂げた城です。
三方ヶ原(三方原)古戦場~徳川家康の生涯において「伊賀越え」と並ぶ人生の危機となった戦です。
設楽城跡~鎌倉時代初期に設楽氏が築城した愛知県で最も古い城跡であるそうです。
吉岡城~下條氏が7代112年間に渡って居城し、下條村の文化の中心地でありました。
高天神城(続日本100名城)~武田信玄・武田勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた要衝
長篠城 (日本100名城)~城をめぐる激しい攻防戦で有名、国の史跡に指定されています。
浜松城(続日本100名城)~前身は今川氏が築城した曳馬城、野面積みの石垣が有名で出世城ともいわれています。
丸子城~駿河西部における重要地であり今川時代は守りとして、武田時代は攻略地点、江戸時代は東海道の丸子宿となりました。
水巻城~天竜川の河岸段丘上にあった奥山氏の一族が築城したと伝わる城です。
掛川城 (日本100名城)~東海の名城と謳われた程で日本初の本格木造天守閣が復元されたお城です。
駿府城(日本100名城)~最初は今川氏による領国支配の中心地、そして徳川家康大御所時代の居城となりました。
天王山龍華院(掛川古城跡)~築城は朝比奈氏で徳川家康が掛川城攻めの本陣とした説があります。
掛川・碧岩山観音寺跡(構江遊園地)~西郷局の生誕地と西郷氏の菩提寺がありました。
奈良井宿~中山道34番目の宿場で最も標高が高く日本最長の宿場町。C12静態保存(デフ付)あり。
赤沢自然休養林(日本三大美林)の森林鉄道に乗車しました。森林浴発祥の地です。