三留野 SL公園~かつての三留野宿にD51351が腕木式信号機と共に静態保存されています。

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【三留野 SL公園】

JR中央西線の南木曽駅を起点に、妻籠宿に向かって
歴史の道・中山道を歩いていきますと、
最初に出会うポイントがこことなります。
昭和40~50年代に
木曽谷を走ったD51 351を静態保存したものです。
なぜかSLが少々傾いてます。
腕木式信号機も有ります。

D51 351 静態保存

このD51351が保存されている場所は
元々、中央西線の旧線だった場所です。

南木曽駅から歩いて5分強ぐらいの場所にあります。
途中、急な坂道がありますのでご注意ください。
恋人と座るようなベンチもあります。
すぐ横に中央線が走っているのがみえます。

三留野SL公園 機関車説明

【所在地】
〒399-5301 長野県木曽郡南木曽町読書3377−10

【駐車場】
駐車場はありませんが、
乗用車1台くらいのスペースがあります。

【三留野宿】
三留野宿(みどのじゅく)は
中山道41番目の宿場(⇒中山道六十九次)。
長野県木曽郡南木曽町に位置しています。
三留野宿は江戸から79里27町、
妻籠宿へは1里18町、宿の延長は約2町です。
宿のはじまりに関する資料が残っていませんが、
他の宿とほぼ同じ時期に成立したものと思われます。



三留野宿は、かつては妻籠宿と並んで栄えていました。
けれども宝永元年(1704年)の
大火を含め合計4度の火災にあい、
その都度宿のほとんどを失ってきました。
天保14年(1843年)の
「中山道宿村大概帳」では、
三留野宿の宿内家数は77軒、
うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠32軒で宿内人口は
594人であったとのこと。
近世には、和宮や明治天皇をはじめ
正岡子規や斉藤茂吉なども
宿泊した記録が残っています。

三留野(中山道・南木曽町)の風景

南木曽駅の北が当時の宿場町の中心でしたが、
明治15年(1881年)の大火で
多くの建物が焼失したことに加え、
鉄道が開通したため
現在の町の賑わいは駅周辺に移っています。

国道19号が宿の西側を走っていることもあり、
宿場の面影を残す建物や
案内板などがひっそりと残っています。

妻籠宿~中山道・木曽路

馬籠宿~中山道・木曽路

奈良井宿~中山道34番目の宿場で最も標高が高く日本最長の宿場町。C12静態保存(デフ付)あり。

臨川寺~天下の奇勝「寝覚めの床」があり、浦島太郎が住み着いた地との伝説があります。

赤沢自然休養林(日本三大美林)の森林鉄道に乗車しました。森林浴発祥の地です。

見付天神社(矢奈比売神社)~東海道・見附宿の守護で霊犬悉平太郎伝説、ゆるキャン△にも登場しています。

徳音寺にある木曽(源)義仲公之墓と小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓、義仲館と巴淵

興禅寺にある木曽義仲公之墓、木曾義康・木曽義昌父子、山村氏歴代の墓地もあります。

木曽義仲公館跡(旗挙八幡宮)~治承4年(1180年)千余騎を従え平家打倒の旗挙をした地です。

須原城~木曽氏が築城し須原宿として栄え馬籠宿から洗馬宿までの街道を整備しました。

木曽小丸山城~応永年間(1394年~1428年)に築かれた山城です。

上之段城~小丸山城に代わる居城として木曽義在によって築城されました。

木曽福島城~天文年間に木曽義康が築城、後に小笠原氏に攻め込まれました。

木曽福島関所~中山道にあった関所で東海道の今切関所や箱根関所と同等の扱いでした。

高遠城~国の史跡で日本100名城、春には珍しい品種の桜であるタカトオコヒガンが咲き誇ります。

二俣城~水運に恵まれた街道上の要衝で武田VS徳川の激しい攻防の舞台となり、徳川信康が切腹を遂げた城です。