馬籠宿~中山道・木曽路

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【馬籠宿】

馬籠宿(まごめじゅく)は、
中山道43番目の宿場(⇒中山道六十九次)で、
木曽11宿の一番南の宿場町です。

<中山道>
中山道

かつては長野県木曽郡山口村に属していました。
2005年(平成17年)2月の
山口村の越県合併により
岐阜県中津川市に編入されました。
1895年(明治28年)と
1915年(大正4年)の火災により、
古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失しましたが、
その後復元され現在の姿となりました。

<石畳の道>
馬籠宿・石畳の道

【歴史ある宿場町】
岐阜県中津川市馬籠地域は、
日本のほぼ中心部である
中央南アルプス南端に位置しています。
この地は傾斜地形の中に水田や山林が広がる
里山風景が楽しめるエリアです。

地域の中心部を江戸初期に開通した街
道「中山道」が通っており、
京都から続くこの旧街道は
この地の宿場「馬籠宿」の先では
「木曽路」と呼ばれる江戸時代の情景を保つ
険しい80kmほどの区間に入り、
その先もさらに延びて東京に続いています。

<馬籠峠>
馬籠峠

【現在の馬籠宿の町並み】
石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、
馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)
とともに人気があります。
多くの観光客が訪れる場所で、
石畳の両側にお土産物屋がならび、
商いをしていない一般の家でも
当時の屋号を表札のほかにかけるなど、
史蹟の保全と現在の生活とを共存させています。
ほぼ中間地点に、
旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)があります。

<馬籠宿案内マップ>
馬籠宿マップ

<馬籠宿の町並み>
馬籠宿の町並み

【馬籠宿の特徴】
天保14年(1843年)の
「中山道宿村大概帳」によれば、
馬籠宿の宿内家数は69軒、
うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠18軒で宿内人口は
717人であったとのことです。

<山の中・・・>
見晴台からの眺め 山の中

【馬籠の歴史】
馬籠は源義仲(木曽義仲)の
異母妹である菊女が源頼朝から賜ったもので
「美濃州遠山庄馬籠村」(1215年)といい、
長享元年(1487年)頃になると
木曽馬籠や恵那郡馬籠と
いったりするようになります。
妻籠までが信州木曽谷で、
馬籠は美濃に属しました。

<見晴台からの眺め>
馬籠宿 見晴台からの眺め

【枡形】
馬籠宿下入り口より「車屋坂」を進むと、
右手に「阿弥陀堂」があり、
そこから急峻な坂道が2度に渡って
90度に折れ曲がっています。

枡形 馬籠宿

戦国時代直後の江戸時代初期、
徳川幕府は国内全ての街道の宿場町に
敵の侵入を拒む「桝型」と呼ばれる
軍事要塞機能を持つ場所を
必ず設置したのでした。
道の山手側は城郭建築の様に
石垣が築かれています。
馬籠宿の桝形は狭い山の尾根の地形を
巧みに利用して作られています。

桝形のある車屋坂の名前は、
一説には水車があったので
車屋坂と呼ばれた、と言われています。
明治13年に明治天皇の行幸に随行した
岩倉具視の人力車が、
この坂で止まりきれずに家に突っ込んだ、
というエピソードがあります。

<車屋坂>
車屋坂

【大きな水車小屋】
1つめの桝形の角に阿弥陀堂があり、
天台宗京都大原三千院ゆかりの
阿弥陀堂と言われています。
2つめの桝形の角に
馬籠宿のシンボル「大きな水車小屋」があります。
桝形の脇には江戸時代の夜間の街灯であった
「常夜灯」があります。



現在、水車小屋内には既存の水車を利用し、
平成22年3月に総務省の
「緑の分権改革」推進事業を受け
「小水力発電設備」が設置されています。
発電量は0.9wです。
発電された電気は、水車小屋のライトアップ、
水車小屋 の室内照明、常夜灯、
ディスプレイの電力に使用されています。

<水車小屋>
水車小屋

馬籠宿下いる入り口から水車小屋までの坂道は
「江戸時代に通された階段の道」と
「明治時代に改修された道」が並んで通っています。

<水車小屋の前の江戸時代の道>
水車小屋の前の江戸時代の道

【藤村記念館】
文豪 島崎藤村の生家で、
馬籠宿本陣跡でもある、藤村記念館。
昭和27年に藤村の長男雄氏より
多数の資料の寄贈を受け、文学館となりました。
昭和30年に「島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡」
として県指定史跡に指定されました。
江戸期の建築物「隠居所」と共に
「屋敷礎石」「石垣」等
かつての建物群の所在を示す遺構が有ります。

<藤村記念館>
藤村記念館

<石垣>
藤村記念館・石垣

館内には処女詩集「若菜集」をはじめ
「嵐」「夜明け前」そして絶筆の「東方の門」までの
全ての直筆原稿、資料、遺愛品、
明治大正詩書稀覯本コレクション等
約6000点を所蔵展示しています。

<井戸>
藤村記念館・井戸

記念館は東宮御所、迎賓館、帝国劇場、
慶応大学、東京国立近代美術館、
ホテルオークラの設計で知られる、
文化勲章受賞建築家である
博物館明治村初代館長でもあった、
故・谷口吉郎博士の設計です。
寺院回廊建築様式を取り入れた造りになっています。

<本陣跡と建屋>
建屋内部は撮影禁止です。
本陣跡と建屋

<料金>
大人:550円(団体割引有り)
子供:100円

【観光案内所】
馬籠宿の中間地点にある、馬籠観光案内所。
各種観光パンフレットが設置されています。
馬籠宿、木曽路観光、及び
馬籠宿周辺観光案内等の総合的な
観光案内全般を行っています。

馬籠宿ー妻籠宿間の手荷物お預かりサービスの受付、
完歩証明書の発行、熊よけの鈴の貸付も行っています。

更にはコインロッカー、
赤ちゃんとお母さんに優しい
綺麗なお手洗い等も設置されています。

【営業時間】
午前8時30分~午後5時
【住所】
岐阜県中津川市馬籠4300
【電話】
0573-69-2336
【FAX】
0573-69-2653
【mail】
info@kiso-magome.com

所要時間:30分~1時間程度

【馬籠城】
当時の城主は木曽氏家臣島崎重通。
島崎重通は戦火を交える事無く妻籠城へ逃れました。
馬籠城は馬籠宿下入り口より徒歩5分程。
現在は城の遺構は無く、案内版のみです。
島崎重通は文人島崎藤村の祖先とされています。
江戸時代に入ると、中山道を通す際に
徳川幕府は島崎氏一族に
馬籠宿の開発に従事させ、
その後本陣を預けた、と史書にあります。

馬籠城跡

【交通アクセス】
【電車】
JR東海中央本線 「中津川」駅から
北恵那バス馬籠線「馬籠」バス停下車。

JR東海中央本線 「南木曽」駅から
南木曽町新交通システム(おんたけ交通に委託)
馬籠線「陣場」(高札場付近)または
「馬籠」バス停下車。
陣場バス停は宿場の一番上に位置し、
宿場へは下りで訪れることになります。
馬籠バス停からは逆に上りとなります。

【高速バス】
JRバス中央ライナー号
東京駅日本橋」口⇔バスダ新宿⇔
中央道馬籠⇐名古屋駅 (新幹線口)・多治見・可児

【車】
中央自動車道⇒中津川IC⇒国道19号⇒馬籠宿

【駐車場】
馬籠宿の駐車場は一部を除き
普通車及び大型とも無料となっています。
駐車場名としては
宿場下入り口近くはAー〇
上入り口近くはB-〇、C-〇と
アルファベットの数字が書かれています
尚、混雑日にはC-2馬籠ふれあい広場と
馬籠島田公園駐車場も無料開放されます。

◆下入口付近駐車場(無料):
Aー1 Aー2 島田公園駐車場P 大型P
◆下入口付近駐車場(無料):
B-1 B-2 B-4 B-5.6.7
その他、各店舗の駐車場(有料の場合あり)をご利用ください。

<下入り口>
馬籠宿 下入り口

【史跡】
◆高札場
◆馬籠脇本陣史料館
◆藤村記念館(島崎藤村生家跡)
島崎藤村のゆかりの品を展示しています。
◆清水屋資料館
◆枡形

<注意事項>
新型コロナウイルス感染症防止のため、
来場の際は以下の点につき
ご協力をお願いしますとのことです。

●密集、密接を避けてください。
●マスク着用等の咳エチケットをお願いします。

奈良井宿~中山道34番目の宿場で最も標高が高く日本最長の宿場町。C12静態保存(デフ付)あり。

妻籠宿~中山道・木曽路

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見付天神社(矢奈比売神社)~東海道・見附宿の守護で霊犬悉平太郎伝説、ゆるキャン△にも登場しています。

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木曽福島城~天文年間に木曽義康が築城、後に小笠原氏に攻め込まれました。