【那智滝】
那智滝(なちのたき)は、
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の
那智川中流にかかる滝です。
石英斑岩からなるほとんど
垂直の断崖に沿って落下します。
その姿は熊野灘からも望見することができます。
総合落差では日本12位ですが、
一段の滝としては落差日本1位となります。
華厳滝、袋田の滝と共に
日本三名瀑に数えられています。
国の名勝に指定されています。
(1972年7月11日指定、
指定名は「那智大滝〈なちのおおたき〉」)
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
(2004年7月登録)の一部です。
那智山の奥山、大雲取山から
流れ出る本流にいくつもの流れが
重なり合い、ついには原生林を
切り裂くように落下しています。
水柱は落差133m、銚子口の幅13m、
滝壺の深さは10mの名瀑で、
落差は日本一です。
銚子口の岩盤に3つの切れ目があり、
三筋になって落下し始めるところから、
「三筋の滝」ともよばれています。
【概要】
那智山中の那智原始林には、
いくつかの渓流があり、
その渓流には60以上も多くの滝が
架かっています。
「那智滝」とは、本来は、
那智山の多くの滝のうち、
瀧篭修行の行場として
扱われた48の滝(那智四十八滝)の
総称でした。
一般に那智滝として
知られている滝はこれらのうち、
一の滝を指しています。
その姿は、那智滝図、一遍上人絵伝、
熊野那智参詣曼荼羅など
宗教美術においてたびたび
描かれています。
【那智の大滝】
那智山一帯は、
滝に対する自然信仰の聖地であり、
一の滝は飛瀧神社のご神体であり、
飛瀧神社の境内に設けられた
滝見台からその姿を見ることが出来ます。
滝の落口の岩盤に切れ目があり
三筋に分かれて流れ落ちるため
三筋の滝ともいわれ、
また那智の滝の代表する
ということから那智の大滝とも呼ばれています。
この滝を写した写真を
「熊野那智大社と那智滝」などと題して、
三重の塔(青岸渡寺)と
那智の滝を1枚のフレームに
納めたものがあり、
実際にその風景が撮影できる
フォトスポットもあります。
この名称は、明治期の神仏分離以前において、
三重の塔が属する青岸渡寺と
熊野那智大社が一体のものであった
名残であるとのことです。
【那智四十八滝】
那智原始林内には多くの滝があります。
このうち48の滝に番号と神道を中心に、
儒教、仏教、道教、陰陽五行説などの
諸宗教にもとづく名が与えられていました。
これらの滝では、
青岸渡寺開祖と伝えられる
裸形上人をはじめとする
宗教者たちのほか、
花山法皇も二の滝の断崖上に
庵を設けて、千日滝篭行をしたと
伝えられています。
けれども、明治期の
神仏分離令・修験道廃止令によって、
これらの行を支えた
神仏習合的な信仰が
失われるとともに、
明治初期からは所在や名称も
不明となってしまいました。
1991年、
わずかに残された
古文書を手がかりに、
地元の有志・新聞社・僧職などが
四十八滝探査プロジェクトを行い、
再発見に成功したとのことです。
また、1992年からは
青岸渡寺の手によって、
那智四十八滝回峰行が
再興されているとのことです。
【飛瀧神社】
飛瀧神社(ひろうじんじゃ)は、
和歌山県那智勝浦町那智山にある神社です。
御祭神は大己貴神です。
熊野那智大社の別宮です。
那智滝自体が大己貴神が
現れた御神体となっており、
本殿は存在しません。
拝殿もなく、直接滝を拝みます。
滝の飛沫に触れることによって、
延命長寿の霊験があるという
伝説があるとのことです。
毎年7月14日に
扇祭(那智の火祭)が開かれます。
また毎年7月9日と12月27日に
御滝注連縄張替行事が行われます。
境内地及び那智滝は、
ユネスコの世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」
(2004年7月登録)の
構成資産の一部となっています。
<御瀧拝所舞台>
参入料
大人:300円
小中学生:200円
未就学児:無料
御瀧を一番近く、
真正面で拝観できる観覧舞台です。
延命長寿の水と伝えられている
例年ですと瀧つぼの水を
飲むことも出来るとのことです。
【交通アクセス】
JRきのくに線「紀伊勝浦」駅下車
バス30分「那智の滝前」徒歩5分程度。
その他 連絡先:熊野那智大社
【所在地】
〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
【駐車場】
駐車できる台車数は多くありませんが
無料駐車場があります。
【トイレ】
神社入り口の鳥居向かいにあります。
坂道でカーブになっているため、
横断する際は走行車にご注意ください。
滞在所要時間:15分~
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