石田三成を巡る旅~龍潭寺及び佐和山城跡・大原観音寺・出生屋敷跡・供養塔~

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【龍潭寺】

駐車場有
<地図>
青印⇒龍潭寺及び佐和山城址への駐車場入口
普通車20台・大型車5台

<龍潭寺・拝観入り口>
龍潭寺 拝観入り口

慶長6年に移建改装され、
初代藩主井伊直政の建立による禅僧の専門道場として、
多数の造園学僧を輩出しました。
白砂に48の石を組んだ 方丈南庭「ふだらくの庭」と
、彦根市指定文化財である蓬莱山の山水の庭園が知られています。
本堂には芭門十哲のひとり森川許六の襖絵があります。

【庭園】
 龍潭寺に禅宗の大学寮があり、
その中に園頭科(えんずか)がありました。
これが造園専門学校の始まりとされているそうです。
学僧が実習として作った庭などが現在も残り、
庭の寺ともいわれています。
 広い庭園は、佐和(さわ)山を借景に作られています。
井伊直弼(なおすけ)や小堀遠州が茶の湯を楽しんだ
飄々庵(ひょうひょうあん)などの茶室は、
佐和山城の城門を利用したといわれています。
書院東庭は「蓬莱(ほうらい)池泉庭」と呼ばれ、
山を背景に大きな池が横たわる池泉鑑賞式庭園です。
書院北庭は「露地庭(ろじてい)」と呼ばれ、
その上に上段庭があります。
また、書院東庭とともに良く知られた方丈南庭は、
「ふだらくの庭」と呼ばれ、
白砂に48個の石を配した石庭です。
また、庭園の後丘上には、
夢窓疎石(むそうそせき)や諸禅師(しょぜんし)、
小堀遠州の供養塔や造園史の先賢をまつる庭聖殿があり、
見る庭だけでなく、考える庭、思う庭、さらに拝む庭など
いろいろな庭があるといわれているそうです。

<龍潭寺の園庭入り口付近>
龍潭寺 園庭前

晴れた日も良いのですが、
小雨降る日に訪れてみても、一層風情があるかもしれません。
あと紅葉の時期ですね。

境内に石田三成の像と佐和山城址があります。

<所在地>〒522-0007 滋賀県彦根市古沢町1104
<電話>0749-22-2777
<交通アクセス>JR琵琶湖線「彦根」駅下車 徒歩30分程度

<拝観時間>
午前9時~午後5時(11月中旬から2月末は午後4時まで)

<拝観料(庭園)>
大人400円・小中学生150円

【大久保忠隣公幽居の跡】
大久保忠隣公幽居の跡



【佐和山城址】

佐和山城(さわやまじょう)は、中世中期から近世初期にかけて、
近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山に存在した日本の城(山城)です。
築城は鎌倉時代で廃城は江戸時代に入ってすぐです。
<所在>

〒522-0007 滋賀県彦根市古沢町

【諸注意】
佐和山城跡は、清凉寺や龍潭寺などの所有する山です。
山での火の使用はやめてください。
ゴミは各自で持ち帰るなどして、大切な文化財の保全にご協力下さい。
また、団体で登山を計画される場合は、
山の所有者である清凉寺や龍潭寺の了解を得るようにしてください。
佐和山城 登城の注意事項

<山門>
龍潭寺 山門

<山門からのルート>
佐和山城 登城口

<佐和山城へ>
佐和山城 登城開始口

<野猿注意!>
佐和山城 野猿注意

【構造】
山城として、山上には本丸を中心として
西ノ丸・二ノ丸・三ノ丸があり、
また隣接する尾根に太鼓丸・法華丸の2つの曲輪が見受けられます。
東山道に接する大手方面には、
谷戸を塞ぐ形で内堀で区画された侍屋敷地が二箇所あり、
更にその外側に城下町と外堀が確認できます。
琵琶湖に接する搦手口にも城下町があり、
湖には百間橋が架かっていたそうです。

【徹底した破壊】
佐和山城は井伊家が彦根城に移る際に
徹底的な破城を受けており、
特に本丸の天守台では9間(15メートル前後)を
切り落としたと伝えられているそうです。
本丸自体も岩盤が露出するまで破壊され、
石垣も殆ど撤去され、ごくわずかに残るのみです。
なお、徹底的に破壊された本丸を除き、
他の山上曲輪は実際には複数の曲輪で構成されていたとのことです。
現在、本丸跡のある山頂には
三等三角点「石ヶ崎」が設置されています。
標高は232.57mです。

<佐和山城をめぐる攻防>
佐和山城をめぐる攻防 案内

【石田三成屋敷跡】
佐和山城の途中にあります。
<所在>〒522-0007 滋賀県彦根市古沢町978−5
<地図>

<この場所??「屋敷跡」の看板が見当たらず>
佐和山城 石田三成屋敷跡

<石田三成群霊供養>
向かって右が「群霊供養」塔で、
写真のほぼ中央が「佐和山観音」です。
石田三成 群霊供養



【清涼寺】

井伊家の菩提寺として、
また父井伊直政の墓所として、
直政の次男で彦根藩2代目藩主の直孝が
開基した曹洞宗永平寺派の寺院です。
釈迦牟尼如来(しゃかむにょらい)を本尊とし、
諸国から高僧を招いたので
修行道場としての名声が高まり、
多い時には2百余名の雲水が修行をしていたと伝わっています。
本堂裏の高台には歴代藩主の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、
寺宝に歴代藩主画像などがあります。
また、七不思議伝説が伝わっています。
寺地が石田三成(いしだみつなり)の名家老といわれた
島左近(しまさこん)の屋敷跡で、
島左近邸の時からのタブの老木も残っています。
この寺院は関ケ原の戦いの戦没者の供養も兼ねております。

<所在地>彦根市古沢町1100
<電話>074922-2776
<交通アクセス>JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車 徒歩30~35分
<駐車場>普通車20台・大型車5台
<場所>
青印は向かい側にある駐車場出入り口付近です。

【清涼寺・七不思議】
【左近の南天】
左近の育てた南天の木が今でも残っており、
その木に触れると腹痛を引き起こしてしまう、とのこと。

【壁の月】
左近が使用していた居間を寺の方丈としたところ、
その壁に月形の影が浮かび出てきて、
壁を塗り替えてもそのたびに浮かび上がるというもの。

【唸り門】
左近邸の表門を山門としたところ、
大みそかになると、風もないのに
低いうなり声のような音がしたらしいとのこと。
但し、その門は江戸時代に焼失してしまいました。

【洗濯井戸】
島左近が茶の湯に使用した井戸。
汚れものを浸しておくと、
一晩で真っ白になったと伝わります。
清涼寺 井戸

【佐和山の黒雲】
関ヶ原の戦いの後、井伊家の家臣が、
佐和山城での戦利品を虫干ししていたところ、
佐和山城の方角から黒雲が沸き起こり、
戦利品が風で持ち去られてしまった、とのことです。

【血の池】
墓地の一角にある池で、佐和山城落城の折に
多くの人の地が池に流れ込み、
それ以来夕方になると、
水面に血みどろの女性の顔が
浮かび上がるということです。

【木娘】
本堂前のタブノキは佐和山城築城以前からある
樹齢数百年のものであり、夜な夜な女性に変化しては
参拝者を驚かせていたと伝わっています。
清涼寺 タブノキ



【大原観音寺】

<所在地>滋賀県米原市朝日1342
<電話>観音寺(伊富貴山観音護国寺)
0749-55-1340

【概要】
観音寺(かんのんじ)は、
滋賀県米原市にある天台宗の寺院です。
山号は伊富貴山。本尊は十一面千手観音。
通称:大原観音寺。
正式名称は伊富貴山観音護国寺(いぶきやまいぶきやまかんのんごこくじ)
大原観音寺

【歴史】
仁寿年間(851年ー854年)、三修によって創建されました。
もとは伊吹山四大護国寺として
法相宗(ほっそうしゅう)に属していましたが、
弘和(永徳)3年(1383年)に天台宗に改めました。
本尊の十一面観音像は行基(ぎょうき)作で、
伊吹山(1377.1m)の霊木を刻んだものと伝えられています。
胎内に、貞応3年(1224)の銘を記す伝教大師坐像は、
鎌倉初期の作品で高さ約65cmの一木造で、
国の重要文化財に指定されています。
堂宇は正徳5年(1715)に
再建の本堂(国の重要文化財)、
薬師堂、鐘楼、山門などからなります。
秀吉が鷹狩りで立ち寄った際に、
寺の小僧をしていた石田三成(いしだみつなり)を
「三碗(さんわん)の才」で見出したことで名高い寺です。

大原観音寺 看板

<石田三成 水汲みの井戸・説明板>
石田三成 水汲みの井戸

<石田三成 水汲みの井戸>
石田三成 水汲みの井戸

<場所>
青印は駐車場付近です。
境内の門入ってすぐに「水汲みの井戸」の看板があります。
池に沿って左方向に歩き、池のほとりに「水汲みの井戸」はあります。

<重文>木造伝教大師坐像(でんきょうだいしざぞう)
<交通アクセス>
【車】北陸自動車道「長浜IC」から約10分
駐車場:
普通車10台・大型車 1 台



【石田三成 出生屋敷跡】

所在:滋賀県長浜市石田町治部576
石田三成屋敷跡

<交通アクセス>
【電車及びバス】
JR長浜駅下車⇒湖国バス近江長岡駅行きで20分、バス停:石田下車、徒歩3分
【車】
長浜ICから10分
<駐車場及び場所>
あり(石田会館)

会館外には、「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑や三成の銅像あります。

<石田三成公 史跡案内図>
石田三成公 史跡案内図



【石田三成公供養塔】

<所在地>滋賀県長浜市石田町548
八幡神社の境内の奥にあります。
<場所>

<看板1>
石田三成供養塔 看板

<看板2>
石田三成供養塔 看板

<供養塔・境内>
石田三成 供養塔境内

<供養塔>
石田三成供養塔

<辞世の句>
石田光成 辞世の句

<自筆の歌>
石田三成 自筆の歌

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羽柴秀吉と石田三成の運命の出会い・光秀と三成の接点とは?~三成の縁の地~

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