野島崎~房総半島最南端の地・ダイナミックな波の響きと風光明媚な景勝地です。

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【野島崎】

野島崎(のじまざき)は、
関東平野最南端に位置する
千葉県南房総市の太平洋に突出する岬です。

国土地理院の地図上の表記は「野島崎」、
海上保安庁の海図上の表記は「野島埼」です。
岬には野島埼灯台があります。
南房総国定公園に含まれる景勝地です。
岬一帯は白浜野島崎公園として整備されています。

野島崎 岬 岩礁

千葉県および房総半島の最南端、
丸い台地状で約500mに
わたって太平洋に突出しています。
古くから南房総の壮観と崇美を集め、
文人墨客が好んで来遊し、
多くの詩歌や伝説が残されてきた
名勝の地となっています。
岬先端の高台にはラバーズ・ベンチが整備されており、
朝日と夕日の両方が同時に見える
デートスポットとして人気を集めています。

<ラバーズ・ベンチ>
野島崎 ラバーズ・ベンチ

野島崎沖は太平洋から東京湾に入る重要な航路で
船舶の往来が多くみられます。

古くは房総半島と離れた島であり
野島と呼ばれていましたが、
元禄16年(1703年)の元禄大地震で隆起し、
地続きとなったという説があります。
けれども、元禄大地震の7ヶ月後に書かれた
法界寺(白浜海洋美術館付近にかつてあった寺院)届書に
「野島崎は津波の後に地形が変わった」
と記されているため、
地震以前から野島崎は存在しており、
すでに一部が陸続きであったという説も存在しています。

【野島崎の歴史】
白浜城跡

江戸時代中期になると、
石高制と参勤交代制により、
幕府城米、諸藩蔵米などの海上輸送が展開します。
さらに諸商品の海外輸送も盛んとなり、
城下町・港町・三都(大阪・京都・江戸)
を結ぶ海運のネットワークが整っていきました。
寛文10年(1670年)に
江戸幕府は江戸商人河村瑞賢に
東廻り航路の整備を命じたのでした。



<銚子内海江戸廻り>
東北の石巻や荒浜などの
積出港からいったん外海に出て、
鹿島灘沖から銚子河口付近に入り、
そこから利根川をさかのぼって
江戸に入る航路が利用され、
時間も距離も短縮できます。

けれども波の荒い鹿島灘を横切り、
暗礁を避けて銚子漁港に入港するという
危険性の高いものでした。

<外海江戸廻り>
そのため、東北の積出港から銚子沖、
野島崎沖を通り、そして伊豆の下田に入り、
そこから再び江戸に入る航路も
利用されるようになったのでした。

<野島崎灯台の建設>
野島崎周辺も海難事故の多発する海域として知られ、
慶応2年(1866年)5月、
アメリカ、イギリス、フランス、
オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」
(別名・江戸条約)によって
野島埼灯台の建設が進められました。
明治2年12月18日(1870年1月19日)、
日本の洋式灯台では2番目に初点灯しました。
野島崎は東京湾に出入りする
船舶にとっては昔からの重要ポイントだったので
他の灯台に先立って建設されましたが、
1970年代には大型貨物船の沈没が
相次いだ事もありました。

【観光】
かずさ・南房総エリア観光案内

岬内には、豊富な自然環境のほか、
博物館や史跡などがあります。
また、岬を一周する遊歩道が整備されています。

◆博物館
◆白浜海洋美術館
◆灯台資料展示館(きらりん館)

【史跡】
◆野島埼灯台
◆頼朝の隠れ岩屋
◆厳島神社
◆三峯神社
◆稲荷社
◆金比羅宮

【厳島神社】
ご祭神は水の女神である
市杵島姫命(イチキシマヒメ)です。
地元の人々から「野島辨財天」と呼ばれ
親しまれています。

白浜 厳島神社

拝殿の右手前には
房州の名工「武田石爺」の七福神があります。
この作品は石爺19歳の作といわれ
南房総市指定文化財です。

「武田石爺」の七福神

<「武田石爺」の七福神・説明>
「武田石爺」の七福神・説明

【野島崎灯台】
国指定登録有形文化財(平成24年2月23日)

日本にある洋式灯台では観音崎灯台に次いで
2番目に古い灯台で完成は明治2年12月18日です。

野島崎灯台

白色八角形のレンガ造りの
美しい灯台は
「日本の灯台50選」に選ばれており、
国の登録有形文化財にも指定されています。
平均海面から灯頭まで38mあり、
展望台(無料)となっていて
太平洋や白浜の街並みを一望することができます。



<登録内容>
1基

<登録日>
平成24年2月23日

<所在地(所有者)>
南房総市白浜町白浜630(国)

<概要>
房総半島の最南端、野島崎に立っています。
白亜の八角形をした大型灯台で
「日本の灯台50選」にも選ばれています。
周辺は国定公園となっており、
雄大な太平洋のパノラマが展開しています。

野島崎楼台と伝説の岩屋

幕末から明治初期に設置された
条約灯台のひとつで、当初の灯台は、
フランソワ・レオンス・ヴェルニー
(1837~1908、フランス人技術者。
1865~1876年にかけてドックや灯台、
その他の近代施設の建設を指導し、
日本の近代化を支援した)の設計により
明治2年(1970年)に竣工しましたが、
大正12年(1923年)の
関東大震災で倒壊しました。
大正14年(1925年)に再建され、
その後も太平洋戦争で被害を受けつつも、
現在に至っています。

鉄筋コンクリート造、
基部の外径6.8m、
高さ29m。
灯塔の平面は八角形、
灯室の平面は円形で、
外壁は白色塗装、
内部は螺旋階段で昇降する構造です。
関東地方の海運振興に
寄与するとともに、
地域のシンボルとして
親しまれています。

【三峯神社】
白浜の厳島神社の入り口横にあり、
野島崎灯台の近くにある神社です。
遊歩道沿いにあります。

白浜 三峰神社

奥秩父の関東屈指の厳格な
パワースポットで有名な
「三峰神社」から分霊された神社のようです。

岩窟の中に御神体が奉られています。
元々はこの岩窟を御神体とする
岩窟信仰だった可能性もあります。

白浜 三峰神社 御神体

ご祭神:
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉册尊(いざなみのみこと)

天気がよければ
鳥居の向こうに伊豆大島が見え、
朝と夕方で違う表情を見せてくれる神社です。

【白浜野島崎園地】
白浜野島崎園地
(しらはまのじまざきえんち)は、
野島崎一帯の園地です。
千葉県立の自然公園施設として
11.86ヘクタールが整備されています。

芝生や遊歩道、駐車場が整備されており、
周辺にはレストランや食堂やホテル、
お土産店などの施設があります。

野島崎 食堂の一つ
※とても美味しゅうございました。

野島崎灯台を一周する
磯伝いの遊歩道が整備されており、
白亜の灯台を中心に希少な植物や
岩礁風景を鑑賞できます。

<岩礁風景・動画>

【交通アクセス】
(電車・バス)
JR内房線「館山」
館山駅下車⇒安房白浜行・JRバス関東
「野島崎灯台」下車、
安房白浜行・日東交通 「野島崎灯台口」下車

(自動車)
<高速道路>
東京湾アクアライン・館山自動車道
「富浦」IC
<一般道路>
国道410号
房総フラワーライン

【駐車場】
無料駐車場
白浜野島崎公園駐車場があります。

【トイレ】
男女別の水洗トイレがあります。

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