【一関城】
岩手県一関市にある一関城址を紹介します。
釣山(つりやま)と呼ばれる小高い丘にあった中世の山城(やまじろ)です。
元々は坂上田村麻呂が陣を張った場所とされ、
その後天喜年間(1053~1058)に
安倍貞任の弟である磐井五郎家任が砦を築きました。
その後、前九年の役では源頼義・義家父子が陣を張り、
激戦区の一つとなったそうです。
鎌倉時代に入り、
奥州藤原氏の滅亡後に、葛西氏が治めていましたが、
その家臣の小野寺道照が一関に入り
釣山に一関城を築いたといわれます。
けれども葛西氏は豊臣秀吉の奥州仕置により滅亡し、
豊臣の大名である木村氏が短期間領有した後、
伊達政宗の領地となります。
そして政宗の叔父の留守政景が城主となりました。
寛文(かんぶん)年間(1661~1672年)に、
政宗の十男宗勝(むねかつ)が入るも
伊達騒動により宗勝は土佐に配流となります。
やがて、1682年(天和2)に
岩沼から移封された田村建顕(たつあき)が領主(藩主)となり、
以後田村氏11代が続いて明治維新を迎えます。
写真の絵図は田村氏時代の一関城の規模などを説明したものです。
田村氏は釣山の東麓に居館を構えましたが、
小野寺氏以来の中世の城は釣山の山上にあったとされています。
発掘調査では、中世の一関城は釣山を中心に
東西450m、南北400mの敷地があり、
釣山の標高190m付近の千畳敷に
本丸が設けられていたことが明らかになりました。
<地図>
【やぐら広場】⇓⇓⇓
一関城のふもとにある「やぐら広場」を紹介します。
一関藩主となった田村家初代藩主である建顕公が幕府から許され、
領下に時刻を告げるために、貞亭3年(1686)年に、
城内裏門の一角であるこの地に太鼓櫓を作りました。
他藩は「時の鐘」しか認められなかったので、
道往く大名たちはこの太鼓櫓の妙音に大変驚き、
藩民は大いに誇りにしたそうです。
現在、太鼓櫓の実物は一関市台町の長昌寺に保存されています。
田村家初代藩主である建顕公は、
仙台生まれで仙台藩の支藩ですが、大名格を与えられました。
江戸では奏者番として将軍のそばに仕え、
元禄期、赤穂義士事件の発端となる浅野長矩(浅野内匠頭)公の
身柄お預かりから切腹まで処理にあたりました。
坂上田村麻呂の末裔とされています。
<やぐらの広場・説明看板>
<やぐらの広場・地図>
【長昌寺】
〒021-0901 岩手県一関市真柴字宮沢122
日蓮宗のお寺です。一ノ関駅から1,8kmです。
長昌寺本堂にある太鼓は一関藩時代
に田村健顕公が老中阿部豊後守に願い出て
皇居、幕府、御三家に限られていた「時の太鼓」を許されたものです。
当時は「一関にすぎたるもの」と近隣からうらやましがられ、
歌にまで残っています。
現在、二代目時の太鼓は新幹線「一ノ関」駅
コンコースに展示してあるそうです。
<ルート1>: 一ノ関駅⇒【タクシー10分】 長昌寺
<ルート2>: 一関IC ⇒【車20分】 長昌寺
<ルート3>:「一ノ関」駅⇒【徒歩25分】長昌寺
<地図>
岩手の旅行2019早春【行程】世界遺産・城跡・三陸・遠野・宮沢賢治・温泉
丹内山神社⇓⇓⇓
丹内山神社について~坂上田村麻呂から歴代南部藩主まで篤く信仰された神社~