国道45号線から県道44号線に入り、
三陸海岸沿いを北上していきます。
ここは三陸ジオパークのエリアです。
三陸ジオパークとは、
青森県八戸市から岩手県の沿岸を縦断して宮城県気仙沼市まで。南北約220㎞、
東西約80㎞で、その海岸線は約300㎞にもおよぶ日本一広大なジオパークです(2014年3月現在)。
公式サイトはこちらです⇓⇓
三陸ジオパーク
【北山崎(きたやまざき)】
北山崎(きたやまざき)は、三陸復興国立公園の北方、
岩手県下閉伊郡田野畑村北山にある断崖絶壁の自然景勝地です。
北は黒崎、南は弁天崎まで続く高台の中間付近にあります。
「やませ」と言われる風や濃霧が海上に発生しやすく、
雲のような霧が断崖麓の海面を覆う時も多々あります。
高さ200mの断崖が8kmにわたって続きます。
日本交通公社全国観光資源評で唯一の特A級に格付けされました。
約1億年前の火山岩や溶岩などから構成され、
波打ち際には奇岩や海蝕洞窟などが見られます。
広い駐車場とトイレ、展望台、飲食店もあります。
一番近い「第一展望台」からの撮影です。
雪がちらつき、風も強く真冬の寒さでした。
飲食店などの風景です。
<北山崎の位置>
【地理】
<北山崎自然歩道>
黒崎 ~北山崎間5km
北山崎~北山浜間3.5km(徒歩2時間)
北山浜~机浜間1.7km(徒歩1時間)
北山崎展望台~鵜ノ巣断崖展望台間10km
北山崎展望台は、第一展望台(標高150m)から第三展望台まであります。
北山崎階段(718段)
⇒健康な人であれば断崖の麓まで下り、休みながら上がる事ができるそう・・・です。
あとは冷たい強風との闘い・・・。
矢越崎(やごしざき)
⇒北山崎と鵜ノ巣断崖から見える海に突き出た岬。
弁天崎(べんてんざき)
⇒矢越崎の南にあり、北山崎から見えません。
弁天崎の近くには明戸海岸があります。
<地図>
【北山崎サッパ船クルーズ】
今回は残念ながら時間の関係で出来ませんでしたが、
このダイナミックな地形を間近で堪能できるクルーズがあります。
クルーズの時間は何と60分もあります。
岩肌を触れそうな細い岩の間を船で進み、断崖絶壁や奇岩怪岩のすぐ近くまで行き、
奇岩の隙間をすり抜けるなどそれはまるでテーマパークの天然アトラクションです!
料金は3500円//1人(1名で貸切の場合 7000円/1人)
詳細は下記をどうぞ⇓⇓⇓
北山崎サッパ船アドベンチャーズ
そして、再び県道44号線に入り南下しました。
途中、二つの震災遺構に立ち寄りました。
【明戸海岸(あけとかいがん)】
弁天崎がある海岸です。
【震災遺構「明戸海岸防潮堤」】
<所在地>
〒028-8402
岩手県下閉伊郡田野畑村明戸海岸
津波によって決壊した防潮堤が、被災当時の姿のままに保存されています。
今は綺麗に整備されている見学路や
被災前後や決壊の瞬間の写真を使った解説板が整備され、
津波の破壊力や当時の惨状を体感することができます。
次世代への震災体験の伝承、
住民や観光客の防災意識の高揚にその活用が期待されています。
遺構施設や周辺の被災エリアでは、地元の住民ガイドが津波体験の語り部(ガイド)プログラムを提供しています。
田野畑村観光情報
※道路を走行中も至る所に、津波到達地点の印があります。
地域によって、津波がきた高さや押し寄せた場所が異なります。
複雑な地形の三陸海岸なのでつなみの破壊力がより増長されてしまったのだと思います。
風光明媚で波穏やかで晴れ間がでて本当に綺麗で静かな場所でした。
<地図>
【たろう観光ホテル】
たろう観光ホテル(たろうかんこうホテル)は、
岩手県宮古市田老にある建築物です。
かつてホテルとして営業していましたが、
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波で
被災・損壊した後、津波の脅威を伝えるための震災遺構として整備されました。
東日本大震災により6階建ての建物の4階まで浸水し、
1・2階は完全に破壊されてしまった「たろう観光ホテル」。
その姿から大津波の破壊力を感じることができます。
このたろう観光ホテルは津波遺構として保存され、
防災意識の向上のために活動している「学ぶ防災」ガイドにも活用されています。
学ぶ防災では、
津波が襲来する様子をホテル6階から撮影した映像の上映が行われています。
建物は1986年に建てられた6階建て。
1階から3階までが津波被害に遭い、
1階と2階はフロア全体が抜け落ち鉄骨がむき出しとなりました。
4階以上はほぼ当初の状態で残っています。
ホテルの事業者はその後、付近の高台に移転新築し、
「渚亭 たろう庵」と名称を改めて2015年4月に営業を再開しました。
<所在地>
宮古市田老野原80
<アクセス>
【公共交通機関】
三陸鉄道北リアス線「宮古駅」から「田老駅」約20分⇒徒歩約20分
【車】
盛岡⇒田老 車で140分
浄土ヶ浜⇒田老 車で225分
龍泉洞⇒三陸鉄道田老駅 車で40分
駐車場に公衆トイレがあります。
<地図>
「学ぶ防災」ガイドのお申込み・お問い合わせ
(一社)宮古観光文化交流協会 学ぶ防災
<受付時間>
午前9時~午後6時
電話:0193-77-3305
ファクシミリ:0193-62-7030
<問い合わせ>
産業振興部観光課
電話: 0193-62-2111
ファクシミリ:0193-63-9120
詳細⇓⇓
宮古市
【田老と防波堤】
田老で有名なのが防波堤です。
田老は「津波太郎(田老)」の異名を付けられるほど古くから津波被害が多く、
江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で
村がほとんど全滅したとの記録があるほどです。
1896年(明治29年)の明治三陸大津波と
1933年(昭和8年)の三陸大津波により壊滅的な被害を受けた田老地区(旧田老町)。
複雑な地形が多い三陸海岸の中でも、海底の地形も含めて
より複雑な地形であるこの地域の特徴でもあります。
これを受け、防潮堤の整備は
昭和三陸大津波の翌年(昭和9年)から始まり昭和54年に整備が完了しました。
町全体を囲む総延長2,433メートル、
高さ10メートルの長大な防潮堤はかつて「万里の長城」と呼ばれていました。
また、旧田老町では、定期的に津波の避難訓練が行われたり、
避難場所・避難経路を示す表示が多く設置されるなど
津波に対する取り組みがなされていました。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波は、
この高さ10メートルの田老防潮堤を超え、
田老の町を飲み込み、甚大な被害を及ぼしました。
「田老の防潮堤」では、
東日本大震災により甚大な被害を受けた田老地区の現状や当時の状況を
「学ぶ防災ガイド」により知ることができます。
【田老町を襲った津波】
2011年3月11日の東日本大震災の影響に伴い発生した津波は、
地震発生後約39分後である午後3時25分に田老地区に到達しました。
海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊し、
市街中心部に進入した津波のため地区では再び大きな被害が発生ました。
目撃証言によると「津波の高さは、堤防の高さの倍あった」ととのことです。
市街は全滅状態となり、地区の人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者となりました。
「立派な防潮堤があるという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」という証言もあります。
震災から半年後の調査では、住民の8割以上が市街の高地移転に賛同しているとのことです。