JR最高地点・野辺山駅・小海線・龍岡城址めぐり~長野県東部日帰りドライブ1

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南関東では、早くも桜吹雪が舞う頃になり、春も本番にさしかかる年度末の今日この頃・・・
長野県東部(ながのけんとうぶ)への日帰りドライブをしました。

朝6時頃に起きて、高速道路の混雑の度合いをチェックして・・・
ニュースでは、長野ではまだ桜前線が来ていないとの報道もあり、その影響なのか?
道が比較的すいている、ということで予定通り出発しました。
行きは中央自動車道で韮崎(にらさき)インターチェンジまで走りました。
渋滞も一切なく、韮崎インターを降りた一般道に至ってはほぼ貸し切り状態でした。
途中、ハイジの村
から眺める南アルプスは素晴らしく、カメラにおさめました。
更に、車を走らせると「増富の湯」の案内の看板がありました。
今回は、増富の湯(ましとみのゆ)へは行かないので、看板がある右方向ではなく、左方向へ曲がり、清里方面に向かいました。
時刻は10時を過ぎたあたりですが、清里の道路もひっそりとしていました。
やがて、長野県に入り、JR最高地点へ到着しました。



標高1375mの地点にあり、
JR東日本・小海線(こうみせん)の「清里(きよさと」駅と「野辺山(のべやま)」駅の間にあります。
住所地では、〒384-1305 長野県南佐久郡南牧村野辺山(ながのけんみなみさくぐんのべやま)であり、
旧国道と交差する踏み切りの辺りの地点にあり、記念碑があります。
また車で5分、徒歩で約30分の所にある「野辺山」駅は、標高1346m位置するJR最高所の駅であります。
駅前広場も綺麗に整備されて、小さな子供が遊べる遊具も設置され、
かつて小海線の客車を引っ張っていた機関車・C5696も展示されています。
きちんと天井がついていたのでほっとしました。
この時点では、天気はよく晴れ渡っていましたが、まだ肌寒く、冬のコートを羽織っていました。
道路の端には残雪がまだ少し残っていました。
野辺山駅を後にして、続いて向かったのは、信濃(しなの)の国の城跡めぐりです。
今年の3月までNHKBS3で再放送されていた2007年大河ドラマ「風林火山」でおなじみの
相木城(あいきじょう)・志賀城(しがじょう)の城跡です。
<相木城>⇚駐車場無し。
城主は相木 昌朝(あいき まさとも)。大河ドラマ「風林火山」では近藤芳正さんが演じておられました。
家系は清和源氏の流れを汲む依田氏の庶流・阿江木依田氏の一族。
真田幸隆(さなだゆきたか)とは同じ信濃先方衆として親交を深めていたこともあり、長女が幸隆の次男昌輝(まさてる)に嫁いでいる。
ちなみに、昌輝は兄の真田信綱(さなだのぶつな)と共に、長篠の合戦で戦死しました。
<志賀城>⇚駐車場無し
志賀城の築城時期は不明。
戦国時代、笠原清繁(かさはらきよしげ)が城主で武田晴信は佐久郡を完全に制圧するため、天文16年(1546年)志賀城を攻めた。
笠原清繁は関東管領、上杉憲政の援軍を頼みにしており、志賀城には上野国の武将、高田憲頼も援軍として入城していた。
武田軍が志賀城を囲んでから、更に上杉憲政の援軍が碓氷峠を越えて志賀城へ向かったが、
晴信が派遣した板垣信方、甘利虎泰、横田高松らにより、小田井原の戦いで、上杉氏の援軍は壊滅させられた。
晴信は、志賀城の士気の低下を狙い、城の周りに首級三千を掛け並べさせたと伝えられている。
やがて城は落城し、笠原清繁、高田憲頼ら城兵300余りが戦死し、
生け捕りになった者は奴隷労働者とされ、黒川金山などへ人身売買された。
城下には笠原清繁の首塚と伝えられる五輪塔が残っている。
(引用元:ウキペディアより)

志賀城跡の近くにある五輪塔にも行ってきましたが、個人の所有の田んぼの中にありました。
ずっと、その一角を壊さず、守ってきています。
志賀城攻めのエピソードも大河ドラマ「風林火山」で描かれていますね。
続いては、龍岡城址(たつおかじょうし)です。
龍岡城五稜郭

龍岡城堀

国内で二つある「五稜郭(ごりょうかく)」のうちの一つです。
もう一つは、かの有名な函館にあり、二つ目がここ、しなのの佐久市にあります。
1934年(昭和9年)に「龍岡城址」は国の史跡に指定され、
それから80年以上も経て、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(129番)に選定されたそうです。
敷地の大半は何と、公立の小学校の校庭なのです。
ちなみに、この龍岡城跡の北には、田口城址(たぐちじょうし)があります。
龍岡城跡と異なり、山城で戦国時代のものだそうです。
天文年間で攻め落とされていますが、今でも「田口(たぐち)」という地名は残っており、
龍岡城跡にある小学校の名前も「田口小学校」なのです。
また、この田口城跡を登ると、龍岡城跡の五稜郭を眺めることができるそうです。
時間と体力がある方は是非どうぞ。
龍岡城跡には駐車場があります。
もうじき、長野県では桜も開花するのでこれからお花見も楽しめますね。
例年ですと、見ごろは4月の中旬以降となっておりますが、今年はもう少し早いかもしれませんね。
また、龍岡城址の近くにはすっかり有名になった「新海三社神社」があります。
今回は立ち寄りませんでしたが、お時間のある方は是非どうぞ。三重塔があります。



<新海三社神社(しんかいさんしゃじんじゃ)>⇚駐車場有。
主祭神の興波岐命(おきはぎのみこと)は出雲の大国主大神の孫神で、佐久の開拓神。
興波岐命の父神は諏訪の建御名方命で、母神は上野貫前女神(荒船大明神)。
なお、境内や付近には「四十八塚」と言われる古墳群があり、古代信仰の痕跡だとの説もある。
古墳時代に「県神社」であったとされる新海三社神社は、武家時代になると諏訪神等の影響を受け、
佐久から上田までの広大な地域に勢力圏を誇った。
(引用元:ウキペディアより)
長野県には、古い歴史を持つ神社が数多くあります。
古代史のロマンを掻き立てられる場所でありますね。
続いては龍雲寺です。⇚駐車場有り。
龍雲寺(佐久市)
そして、この日メインの小諸城址(こもろじょうし)へと向かいました。

しなのの古城・小諸城址めぐり~長野県東部日帰りドライブ2