白髭神社・湖畔に浮かぶ朱塗りの大鳥居~近江の厳島~

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【白髭神社】

白鬚神社(しらひげじんじゃ)は、滋賀県高島市鵜川にある神社。
国史見在社で、
旧社格は県社。別称は「白鬚大明神」「比良明神」。
神紋は「左三ツ巴」。

全国にある白鬚神社の総本社とされています。
沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、
「近江の厳島」とも称されています。
<白髭神社 境内案内図>
白髭神社 境内案内図

<場所>

【ご祭神】
猿田彦命 (さるたひこのみこと、猿田彦大神)
国史に「比良神」と見える神名が当社を指すとされており、
元々の祭神は比良山の神であるともいわれています。
人格神が猿田彦命とされた由来は不詳ですが、
猿田彦命は水尾神社(高島市拝戸)の縁起
『三尾神社本土記』にも見えることから、
両社の密接な関係が指摘されているそうです。

【比良山】
比良山地 (ひらさんち) は、滋賀県の琵琶湖西岸に連なる山地。
最高峰は武奈ヶ岳(ぶながたけ、1214.4m)。
大部分が琵琶湖国定公園に属し、
古くから近江八景の一つ「比良の暮雪」で知られる景勝地です。
京阪神からの交通の便もよく、登山やスキーに多くの人が訪れます。
東を琵琶湖で、南を和邇川で、
西と北を安曇川で丹波高地から区切られた
南北約20km、東西約15kmの山地です。
北北東-南南西方向に走る2本の稜線から成り立ちます。
南は比叡山へ繋がり、北は野坂山地へ繋がっています。
一般に、西(安曇川)側を「奥比良」と呼び、
東(琵琶湖)側稜線のうち、
釈迦岳から堂満岳の一帯を「北比良」
それ以南の蓬莱山・権現山の一帯を「南比良」
釈迦岳以北の岩阿沙利山・岳山の連なる標高500~700mの尾根を
「リトル比良」
と呼ぶことが多いそうです。

<気候>
気候は日本海側気候の影響を強く受け、
冬季には多量の積雪があります。
比良山地から琵琶湖岸に吹き降ろす強風を比良おろし、
特に春先に吹くものは比良八荒と呼び、
時に交通や農業・漁業に被害を及ぼすことがあります。
積雪と強風の影響を最も強く受ける、武奈ヶ岳付近の稜線は、
樹木が生育しないため近畿地方では屈指の眺望が得られ、
著名な登山ルートのひとつとなっています。
また南比良の打見山頂付近には、びわ湖バレイスキー場があります。



【歴史】
<創建>
社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に
倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるとのことです。
また白鳳2年(674年)には、
天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝えられています。
国史に見える神名「比良神」から、
当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説があります。
一方で白鬚信仰の多く分布する
武蔵国北部や近江・筑前には渡来人が多いことから、
それら渡来人が祖神を祀ったことに始まるという説もあります。
当社の周囲には、
背後の山中に横穴式石室(現・末社岩戸社)が残るほか、
山頂には磐座と古墳群が残っています。
白髭神社 境内社

<社史>
国史では貞観7年(865年)に
「比良神」が従四位下の神階を賜ったとの記載があり、
この「比良神」が当社にあたると見なされています。
けれども『延喜式』神名帳には記載されていないため、
当社はいわゆる国史見在社にあたります。

弘安3年(1280年)の比良庄の絵図では
「白鬚」の初見とされている「白ヒゲ大明神」と見えるほか、
『太平記』巻18では「白鬚明神」という記載も見えます。
また、謡曲『白鬚』では当社が舞台とされているとのことです。

その後、慶長年間(1596年~1615年)には
豊臣秀頼によって境内の整備が行われています。
慶安元年(1648年)には朱印地として100石を受け、
のちには189石余となったということです。

明治に入り、明治9年(1876年)に
近代社格制度において郷社に列し、
大正11年(1922年)に県社に昇格しました。

<境内>
<社殿>(本殿は重要文化財)
白髭神社 社殿

境内は、慶長年間(1596年~1615年)には
豊臣秀頼によって境内の整備が行われています。
本殿は慶長8年(1603年)の造営。
棟札等から、片桐且元を奉行として播州の大工の手で建てられたとされています。
間口三間・奥行三間の入母屋造で、
向拝一間を付し、屋根は檜皮葺です。
向拝の手挟・蟇股等に桃山時代の特徴を示しています。
明治の拝殿造営・接続に伴い、
向拝の軒先は切り縮められて権現造のような複合社殿様式となり、
その際に屋根も杮葺から檜皮葺に改められています。
この本殿は国の重要文化財に指定されています。
この本殿のほか、境内社4殿も同時期の慶長期の造営になります。
白髭神社 境内社



拝殿は明治12年(1879年)の造営で、
間口三間三尺・奥行二間の四棟造。
白髭神社 拝殿
旧拝殿は寛永元年(1624年)の大溝藩主・分部光信による造営で、
現在は絵馬殿として使用されています。
また、昭和7年(1932年)の造営になる社務所は書院造で、
中世を思わせる造りであるとして、
国の登録有形文化財に登録されています。
その社務所前には、
与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が
当社へ参詣した際に詠んだ歌碑が建てられています。

また大鳥居は湖中に立ち、当社のシンボルとなっています。
鳥居について古くは弘安3年(1280年)の絵図で
は陸上に描かれていますが、
その後の琵琶湖の水位上昇に伴い
水中に立つようになったと伝えらえています。
その伝説に基づいて昭和12年(1937年)に鳥居の寄進がなされ、
昭和56年(1981年)に現在に見る鳥居が再建されました。

<諸注意>
琵琶湖畔に建つ大鳥居は
道路(国道161号線)を隔てたところにあります。
交通量はやや多く、
速度を上げて車両が走行しているので
どうしても渡りたい時は、
くれぐれもお気を付けください。

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